かっちゃんの話
・「LGBT とキリスト教」の最終章の筆者
・中性自認は15年前からだが、Xジェンダーの名称はなじまない。
中性がシックリ。
・日常的には20年近くパートナーと同居。
・仕事や教会で出会うそれぞれの人の性別判断に任す。性別を直接聞かれたら中性と答える。
・福祉バス運転手の仕事だが、
男だとおもわれる場面が多いが、仕事では性別には特に触れない。 20年同じ教会にいるから周囲の人は知っているはずなのだが、それぞれの(かっちゃんに対する)男か女かの最初の判断はなかなか揺がない。
・兄弟姉妹という教会用語は良くない。教会では勝山さんでお願いしますと言っている。すると自分だけ、さんになった。
そしていつのまにか兄弟姉妹の言い方を止めるようになった。
・最初に性別に違和感をおぼえたのは幼稚園の時、その色は性別が違うとクラスの同級に言われた。 3、4歳の頃。
・法律婚をしていたときのこどもがいる。孫もいる。
五歳 。「じいじ」でも
ばあば」でもなく、「かっち」と呼んでもらってる。
・カラフルな服が好き、いまはツーブロックだがモヒカン髪型もやったことある。電車でじろじろ見られる。特に幼
稚園から10歳くらいの子に。
・中性であることを言い続けているので、
教会では聖書で神が男と女を創ったと言われるとへこむ。
・ それでも中性を言い続けられたのは「キリストの風」ゆえ。
・山口里子さんの「虹は私達の間に」という本にも勇気づけられた。
聖書に出てくる様々なシーンの人物をセクマイ視点で書いている。
・自分への代名詞。何と呼ばれたいかは大事。
自分には代名詞はない。あえて言えば、「かっちゃん」。
教会ではいちいち指摘している。
そうでないと自分の痛みは理解されない。
レナさんの話
・幼少時、僕と呼べなかった自分。 活動名はレナード・バーンスタインから。 活動名として使っている。
・キリスト教信仰キッカケは禁煙/禁酒運動 。前者はセブンスデー、後者は救世軍。洗礼はセブンスデーで。日本基督教団の神学校に入って一年後に日本基督教団に転籍。
・平良愛香ちゃんは神学校の一年上、彼にだけバイセクシャルをカムアウト。
・彼が卒業近くに教団上層部に差別発言をうけた際には神学校学生有志が上層部に強く抗議、これが功を奏したからか、彼はめでたく牧師に。
・子ども時代、 おもちゃ屋の店先でおままごとセットをぐずって買わせる。
・そのころからおとこでありつつ女でもありたいと思っていた。
性指向も主に男に。
・学校でもおんなっぽいと言われる振る舞い。
でもいじめられた経験はほぼない。運動が得意だったからかも。
・父から女っぽい振る舞いだと言われるも、おまえは仕方ないかも知れないかなとも父に言われた。その理由を聞き出そうとしても父は答えず。
・就職してから酒タバコとジェンダーの関係で苦労した。これがキリスト教信仰のキッカケになったのだが。
・ある会社で中途採用の研修のおわりに温泉センターにつれてかれたが、裸体をみせるのが嫌で、帰ったら翌日クビになった。
・トイレの問題。
スタンド式便器は身体が便器にくっつくくらいの状態でないと用足し出来ない。だから個室にはいる。
ただ、男子トイレにはいっても女子トイレはあっちですよといわれたことも数回ある。
・自分のなかの女を抑圧してきた自分。自分の中の女を自分の中の男が差別をし続けていた。
・ 女性装飾をし始めたのは五年前から。
・町中でもトラブル、警官から職質も。
・三十代の頃、医者から女性の骨格と言われる。
むしろ自分としてはうれしかった。
・両性であるゆえ
トランス女性としての立場もある。
かっちゃんとレナへのキューアンドエー
Q 中性と両性の定義は何?
A
かっちゃん
男と女の中間としての中性。
ある意味では両性とも言えるがシックリするの中性。
レナ
各個人で感覚は違うもの。
私的には自分は両性。
個人の感覚の問題。
かっちゃんへのQ
電車内で子どもが見つめるのは、幼子でも男女二分法が染みついているのか?
かっちゃんのA
幼稚園くらいの年代からしつこく見出すような気がする。
自称代名詞(「わたし」「ぼく」など)を用い出すのも幼稚園児から。
男女の刷り込みの始まりかも。
レナへのQ
愛香さんにだけバイセクシュアルをカムアウトしたというが、バイセクシュアルと両性とはどう違うのか?
レナのA
男女ともに向かう性的指向がバイセクシュアル。
両性とはジェンダーアイデンティティ。
それゆえ、「日本初の両性両性愛者牧師」と自称している。
かっちゃんへのQ
・キリストの風集会について、もっと具体的に話せるか?
かっちゃんのA
・自分はバプテストだが日キ教団、聖公会、 カトリック、ギリシャ正教会のメンバーもいる。 牧師や司祭もキリ風メンバーにいる。 カトリックは同性愛は認めないが、同性愛者のカトリック信徒はいる。キリ風では、お互いの励まし合いなども。 キリ風での交流を経て、別教団に転籍する人もいる。信仰的な話もする。 教派的多様性を取り入れた礼拝プログラムを取り入れている。そんなプログラムが出来るのは豊かな恵みかと思う。 ところで中性は、両性とも異性とも異なる。 自分以外の他人は全て異性である。 つまりかっちゃんは異性愛者ということになる。キリ風では、お互い、矢面に立ったときにどうするかという話しあいをすることも出来る
かっちゃんへのQ
キリ風は参加できるのは性的マイノリティ当事者だけか?
かっちゃんのA
性的マイノリティ当事者だけである。
名前をかかせたりとか出席簿などは無い。
レナへのQ
戸籍上男であるが女を抑圧してきたということだが、具体的には?
レナのA
自分が自分にたいしておかしてきた女性差別とは、TPOで男として振る舞うことをやらねばならぬ強迫観念に襲われた時。自分の中の女が自分の中の男によって封じ込められてきた。
かっちゃんへのQ
代名詞SheやHeはダメで、 かっちゃんが代名詞ということだが?
かっちゃんのA
便宜上、中性と言っているが、本当の自分の性別はあくまで「かっちゃん」である。
Theyを代名詞としてる海外ドラマがあるが、どうもしっくりこない、かっちゃんが自分にとっての代名詞であり、かっちゃんが性別でもある。
レナヘのQ
・運動がとくいだったとのことたが、スポーツは男女二分法だが・・・
レナのA
そこはどうしたらいいんでしょうねえ・・・すみませんがわかりません。
ちなみに関連になるが、幼稚園時代、懸垂運動ではクラスで1番良くない成績だった。女性園児でもだいたい1分は持つのだが、レナは30秒ももたなかった。
今でも腕は細く、特に手首は極めて細い。
運動がまあ良くできたほうなのは、下半身が人並み以上に強いからだろう。
かっちゃんとレナのクロストーク
レナからかっちゃんへのQ
かっちゃん。一つ聞きたいのだけれど・ キリスト教の中でも“異端 ”とされてる教会が幾つかあるけれど、 例えば、キリストの風 でそういうのメンバーから「自分は“異端 ”とみなされている○○派なのだが・・・・」という参加者がいたようなことは今まであったか? もし、そういうことがあったとしたら、そんな時の他の参加者たちの様子はどうであったか?
かっちゃんからレナへのA
みんなの前でそういうことがあったということは聞いていないが、個人的にはその手のこ とを打ち明けられたことはある。 とても有名な名前のトラクト (伝道用の小さなチラシ/パンフ) のところなのだが、個人的には全然“異端 ”だとは思っていなくて、出席をオーケーした。私的にはカトリックの信仰は私の信仰とは全然相容れない。あり得ない。つまりカ トリックのほうがよっぽど異端。そう考えると、“異端 ”とは何んぞや?ということにもなるので、そういうことを考えられる場でもあると思える。
レナの応答
我々性的マイノリティはそもそも異端者のレッテルを貼られ続けてきた存在。それゆえ、 たとえ“異端 ”とされる教会のメンバーが来ようとそういう人を拒否するようではいけない と思える
性的マイノリティにフレンドリーな教派もどんどん増えてきてはいるものの、そういう であっても、キリスト教界において一般的に“異端 ”視されている数派に対しては門戸を閉ざしがち......
かっちゃんの返答
キリストの風集会は色々な教派の人が来てるので、ある特定教派への批判的なことは全く 言わない。決裂を避けるため、だから、たとえ自分の信仰が唯一正しい信仰だと思っていても、 それを口に出しさえしなければ全く構わない。 信仰に対してもセクシュアリティに関して も様々なとらえ方があることが前提になっている。 いわば 「オールOK」で受け入れる。 ただ、参加者が全員そういう考えか否かはわからない。
中には自分の信仰の正しさを強調してしまいがちな人もいるが、強く言える人ばかりでは ない。結局、強く言えない人が去って行くようなことはよろしくない。場合によっては静 止役も担っている。
(ここで参加者からの質問が司会者によって読み上げられる)
兄弟姉妹という用語に居づらさを感じてしまうとのことだが、 他には教会で居づらさを感 じさせてしまう要素はあるか?
かっちゃん
讃美歌のパートわけなどされるとき私は両方歌う。 自分がソングリーダーの役の時はその ような分け方はしないが、中には無神経な人がソングリーダーにもいる。さらに、教会によっては左方に男性が座り右方の席には女性が着席するところもある。そういうところでは私の座る場所は無いと言うことだ それから教会の受付。新来者カードにおける性別選択や年記入。そういう教会に行った時には書かない。押し問答気味になっても記入を断る。性的マイノリティが初めて訪れた教会の受付で嫌な気持ちにさせられることもある。 キリスト教会は本当に罪ふかい。
レナ
その関係で、私はある教会の受付で男女両方に丸を付け、 「男0.5人/女0.5人」と カウントしてくださいと言っている。 かなり押し込んだつもりだが、ホントにそうやってくれていれば嬉しいが。
で、かっちゃんも筆者に加わっている新刊書
「LGBTとキリスト教 20人のストーリー」
(監修:平良愛香
日本キリスト教団出版局)についてだけれど、この本ではポリアモリー、つまり同時進行の恋愛をするライフスタイルについて何一つ言及がない。
実は、レナはポリアモリーへの志向が強い。過去においてる二人の人双方から「二者択
一」 を迫られたことがあり、択一することは出来ないのでやむなく自ら身を引いたことがある。
二人を深く傷つけ、
自分も深く傷ついた苦い経験。
この本では言わば一般的なキリスト教的規範に基づいて教えてポリアモリーについては触れなかったのだと思うのだ
本の中で監修者 が『キリスト者は社会の線引きの是非を考えよう』 って書いてるんだけど、 もしポリアモリーは一般的な意味でのキリスト教的性規範にそぐわない故に本書における言及がないということであれば、それはまさにキリスト教社会の線引きそのものではないのか?
かっちゃん
実は私もポリアモリー志向者。 ただ今回は中性について焦点を当てたので散漫になるのを 避け、とりあえず今回は中性一本で書いた次第。
レナ
いや、でもねえ、愛香ちゃんが最後に用語解説のページ設けたけれど、そこにも一切ポリアモリ一は項目として存在しない。これは愛香ちゃんが意図的に記さなかったのか、或いは彼はポリアモリーについても書いたのだけれども編集サイドの意向で記さなかったのか・・・。 実はこの件、編集担当者に尋ねたのだけど編集者からはとても曖昧な答えしか得られなかった。
かっちゃん
それについては後日、 訊いてみましょう。
関連事だが、「キリストの風」ではセクシュアルマイノリティの範囲についての議論がだいぶ
以前から出ていて、性的指向ならぬ性的嗜好。
例えばSM好とか小児性愛はどうなのか
とかという意見も出ている。
が、 これらはシスジェンダーのヘテロセクシュアル本意的な発想とか、セックス行為そのものではなくプレイ行為であるゆえ、そのあたりはちょっと違うかなということ
ポリアモリーに関しても 「男女」 間的、異性愛主義的発想であることを考えると躊躇する人が多いから、キリストの風集会的には性的マイノリティのカテゴリーには入れられないでいる現状。
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