シン・麗梨ReNaより

 

1980年19歳時のレナ。川崎市多摩区にて



1990年秋29歳時のレナ。
セブンスデー・アドベンチスト天沼教会青年会修養会でのひとコマ。いのちのことば社「恵みシャレー軽井沢」チャペルにて、人生初の講壇からの説教。
  

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『レアな体育着の思い出』

(2023.10.9記)

我が小学校時、3年生~4年生時に着込んだ体育着のハナシ。

頭からかぶるタイプではなく両腕を通すタイプだったが、胸ポケット部分の校章のが女子用には赤、男子用には青のカラーで刷り込まれていた。

しかし何故かワタシのものだけが偶然にも“青の校章の女子用”、つまり、ボタンが他の男子用とは逆の左側に縫い込まれていた。

業者に交換要求すれば応じてもらえただろうが敢えてそれをしなかったのは言うまでもない。

希少価値の“当たりクジ”を引いた気分になり、着込むたびに良い気持ちになったからだ。

周囲から「いかにもレナらしい」と珍しがられたのも嬉しかった。

ボール運動や水泳こそそこそこの出来ながら、陸上系・体操系・格闘技系では痩身非力に似合わぬ活躍をし、100メートル短距離走では区大会にも選抜出場、そこそこの成績を残したものだった。もちろん運動会におけるクラス対抗リレーの常時出場。マジ。

5年生時からは残念ながら頭からかぶるタイプに変更、コストダウンのため校章も付かないものに。




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『喫煙シーン/タバコ広告・掲載調査報告』

(2023.3.31記)


これぞ人生初、市民運動団体機関紙への初寄稿文。

今改めて読み返してみると、当時の青少年向け娯楽雑誌たるやほぼ《喫煙習慣洗脳アイテム》だったことが伺える。

機関紙発行後、調査した青少年向け雑誌の全出版元に向け、「嫌煙権だより」第24号(拙文掲載号)を送付したところ、「週刊/月刊プレーボーイ」の版元・集英社から取材の申し込みがあったのだった。

てっきり好意的記事を書いてくれるかと思いきや、『嫌煙権運動は個人の自由の侵害だ!』とする批判的記事であった……

当時の日本禁煙協会会長のSさん(牧師/セブンスデーアドベンチスト教団東日本教区長〈当時〉)のインタビューまで載せつつも………

PS
第24号発行日こそ、「嫌煙権確立をめざす人びとの会」発足から丁度10周年の記念日であった!

しかも、世界保健機関が制定した「第1回 世界禁煙デー」直前のこと。

なお、当時は従来から存在していた「世界保健デー」4月7日が「世界禁煙デー」を兼ねており、1990年以降、「世界禁煙デー」は独立し、5月31日に定められたのであった!

なお、ワタシがセブンスデーアドベンチスト天沼教会(杉並区荻窪)で洗礼を受けた日こそ、「第2回 世界禁煙デー」の翌日の土曜日、1989年4月8日であった!

この巡り合わせ……個人的には「摂理」と信じたいところだ。



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『88・66キャンペーン・コンサート』

(2023.3.31記)

ワタシがまだセブンスデーアドベンチストの求道者(未受洗ながら熱心に礼拝に参加し続けているメンバーのこと)だった27歳時、『嫌煙権だより』に寄稿した駄文を「嫌煙権確立をめざす人びとの会」代表世話人のWさんが、ご丁寧に送ってくださった。
(中田喜直さんと音羽ゆりかご会の写真もワタシが撮影)

こんな優等生的なこと書いてたんだなぁ…とシミジミ。


なお、ワタシはタバコはもちろん現在もアルコール飲料は摂っておりません。
日本キリスト教団認可神学校学生時代の数年間、実は周りに合わせるため、飲めない酒を無理に飲んでいた過去こそありますが……。それでもビールとチューハイだけでした。日本酒
・ウィスキー・ワインは一切身体が受け付けない…。香りだけで反吐が出そうになる。

神学校を卒業して副牧師として最初に赴任した教会では聖餐式をワインで行なっていたので、教会役員会で『ワインは廃止してブドウ汁に変えるべき。未成年信徒にも配慮すべき。教会が未成年者飲酒禁止法を犯すのは如何なものか?』と問題提起したところ、主任牧師の判断でワタシの意見が通り、次月の聖餐式はグレープヂュースに。
 
 ところがこれに文句を付けた役員がいて、『ウチの中学生の子供が「ワインちゃないと有り難みが無い」と言っています!』と主任牧師にクレーム。
 結果、「ワインとグレープヂュースの選択性」聖餐式に。

 未成年者飲酒禁止法に抵触する聖餐式を執り行い続けたあの教会、今はどんな聖餐式をやってるだろうか?

PS
というか、かつて日本のキリスト教会は(喫煙飲酒タブーゆえに葡萄汁で行なうセブンスデーアドベンストや聖餐式自体が存在しないフレンド派や救世軍、そしてワインでも葡萄汁でもなくミネラルウォーターで行なう末日聖徒教会以外は)、おしなべて未成年者飲酒禁止法に違反した聖餐式を行なっていたのだろう。否、現在も続けているところもあるのかも知れない……

牧師や保護者は罪に問われるだろうと思うが。



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『主の御旨に背く恥辱の歴史と誇り高き栄光の歴史』

(2023.3.20記)


日本基督教団の教師籍を持つワタシが教職制度を採らない教派(フレンド派=キリスト友会=クエーカー)の会友として既に3年以上も礼拝会に参加し続けていることを不思議に思う同労者(日本基督教団教師)も少なくないだろう。

なかにはワタシ独自のこの信仰生活にイチャモンを付けてくる『愚か者』の同労者もいるので、この際ハッキリさせておきたい。

我々日本基督教団の先達教師たちはかつての戦時下において明らかに戦争協力の罪を犯した。

にもかかわらず、日本基督教団が戦争責任告白を世に告白し、懺悔・悔い改めを表明するまで実に22年の歳月を要した。
(そもそもこの日本基督教団戦争責任告白自体、沖縄および沖縄の諸教会に関する言及・謝罪が欠けており、さらに教団が国家権力に売り渡したも同然と言えるホーリネス派やアドベンチスト派への言及・謝罪も決して充分とは言えない)

また、終戦直後に結党された旧・日本社会党の結党呼び掛け人の中には、日本基督教団牧師でもあった2人の人物、つまり杉山元治郎と賀川豊彦が含まれていた。(ちなみに現在のワタシの支持政党は、他の如何なる政党以上に旧・日本社会党の流を汲む新社会党である)

つまり、宗教団体わけてもキリスト教における教職制度は不要であることを確信したワタシがいまだに日本基督教団教師籍を保持し続けている理由とは、(まことに聞こえの良い言い方になってしまうかも知れないのだが…)教団の先達教師たちが犯した罪ゆえ、現代の教団教師(のハシクレ)として「贖いの業」に(まことに微力な者ながら)関与する責務を負うていると思われるからである。

「日本基督教団教師」たる立場・職責・アイデンティティはそのために必要不可欠なものなのだ。

我が支持政党たる新社会党の源流政党・日本社会党の結党呼びかけ人に加わった2人の日本基督教団牧師が、戦争協力への罪意識の反省もそこそこに「護憲政党」の立ち上げに加わったであろう姿を想像するにつけ、なおさらその思いを強くする。

ましてや杉山元治郎が我が学び舎・農村伝道神学校と些かの関わりがあることを在学中に知ったのであるから。

なお、ワタシの出身教派はセブンスデー・アドベンチストである。

そしてワタシが現在信仰生活を送らせてもらっているクエーカーは、「絶対平和」「絶対非戦」の徹底した非暴力主義を教義/教理/教学の生命線として掲げ続けている教派である。

前者は19世紀中頃、後者は17世紀中頃、“正統”を自称するプロテスタント主流各派から“異端”のレッテルを張られて迫害/弾圧され続るも、固き信仰心を以て耐え続けた誇り高き栄光の歴史を持つ。


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『3.1ビキニデー 被災69年にあたって』

(2023.3.1記)

来年の3・1ビキニデーは被災70年の区切り。

2014年の被災60年のイベントが東京・青年会館で行われた時は、会場一番乗りし、誰よりも早く60年記念誌『第五福竜丸は航海中』をゲットしたものだった。

同年10月には、ワタシの自作の朗読劇『船頭・重吉と船長・久吉』の上演会を行ない、更にはそのひと月後、練馬原水協と練馬原水禁の共同の呼び掛けにより、『第五福竜丸 元乗組員・大石又七さんと第五福竜丸展示館 学芸員・市田真理さんによる講演会』をココネリホールにて開催、250人の入場者をみた。

この特別講演会計画を「練馬原水協」代表と「練馬原水禁」議長に持ちかけたのは、第五福竜丸 元船長の親族たるワタシでありました。

朗読劇完成にあたり、第五福竜丸 元船長・筒井久吉氏、第五福竜丸展示館学芸員・市田真理氏・劇団「青年劇場」脚本家・福山啓子氏の3名の方々には大変にお世話になりました。




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『2.19MDS東京北部集会への連帯メッセージ』

(2023.2.27記)

2.19MDS東京北部集会に送ったワタシの連帯メッセージ、ワタシのカウント・ミスの訂正・お詫びメール&TELしたにもかかわらず、訂正前の原稿がプリントされてしまっている………(汗)

いやはや……(汗)





以下、カウントミスの(説得力無き)「言い訳」……
爆撃機4機献上のくだりからの流れで④を落としてしまった……

まるで「時そば」……

戦争の時がそばに迫り来ている現実が引き寄せたカウント・ミス……と言ったら責任逃れかも……(汗)


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『練馬区内宗教者声明賛同要請行脚③』

(2023.2.24記)


昨日2月23日午後の半日行動、ねりま九条の会事務局長との『「安保三文書」撤回を求める練馬区内宗教者声明』賛同要請行脚第3弾。

仏教4宗派9箇所、キリスト教2教団4箇所、計13箇所。


写真は区内仏教寺院中最大規模と思しき真言宗智山派三宝寺境内の、その名も平和観音像。身の丈9メートル。



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『反戦・平和メッセージ』

(2023.2.16記)

19日日曜日午後に北区田端で行なわれる東京北部レベルの、と或る大規模な「反戦・平和集会」の主催サイドの人から、当日のメッセージ短文を依頼されたのだが、『せっかくだから「安保三文書撤回を求める練馬区内宗教者声明」に触れた内容が嬉しい』と注文が付き、書き改めることになった。

 なので、ボツとなった原稿をここで分かちあわせて頂きたい。フレンドには同労者(日本基督教団牧師)も少なくないようなので。

なお、戦時下にて弾圧されたホーリネス系出身者の日本基督教団牧師もマイフレンドには存在し、なおかつワタクシ、レナはセブンスデーアドベンチストの出身者であることもここで強調しておきたし‼️😉

では以下に。

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 私たち日本基督教団の先達牧師たちは、先の戦時下において、あろうことか天皇をイエス・キリストの上に置いてキリスト再臨信仰を破棄してしまいました。
 さらに礼拝前には皇居の方角に身体を向けて戦勝祈願の祈り捧げることを信徒たちに強要。
 それにとどまらず、陸海軍には爆撃用航空機「日本基督教団号」4機を献上。これは戦争協力などという生易しいものではなく、紛れもなく戦争参加に他なりません。
 さらにその上、『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒へ送る書翰』を発し、植民地支配のさらなる強固化とさらなる戦意高揚を促したのでした。
 そしてさらに、日本基督教団の意向に背いてキリスト再臨信仰を固く守ったホーリネス派やセブンスデーアドベンチスト派などが特高警察によって迫害・弾圧・投獄(獄死者もあり)された様を見殺しにしたのでありました。
 
 これらの行状から、日本基督教団は既にこの時、キリスト教として明らかに瓦解した団体であったと言えましょう。

 この際の過ちにもとづき、教団は戦後22年を経た1967年3月に「戦争責任告白」を社会に告白し、創造主なる神や世の人々に対して謝罪と悔い改めの表明を致しました。
 
 それゆえ、現在の教団の牧師たちは戦争の足音がヒタヒタと迫り来る現在だからこそ、先達牧師たちが犯してきた罪過を贖う必要があるのです。

(レナ 日本基督教団東京教区所属)

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PS
戦時下の罪過を犯した日本基督教団牧師の中には、終戦直後に結党された、現在の新社会党&社会民主党の源流である(旧)日本社会党の結党呼び掛け人に加わっていた杉山元治郎と賀川豊彦も含まれていた事実!


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『谷口幸紀神父による差別寄稿文問題で』

(2023.2.14記)

カトリック系雑誌「福音と社会」に「LGBTとキリスト教-20人のストーリー-」(日本キリスト教団出版局・平良愛香監修)への書評が3回連続で掲載された。書き手は谷口幸紀神父。

しかしそれは、性的マイノリティへの差別・偏見・憎悪に満ちたヘイト寄稿文であり、とても〈書評〉とは言えないものであった。

このことは、本年1.23付けのキリスト新聞の以下の報道に詳しい。


ワタシは谷口氏が書いた“書評”のコピー全文を1.26に入手。

そして翌々1.28には「LGBTとキリスト教-20人のストーリー-」の監修者である平良愛香くんに対して、「版元トップ・編集担当者・監修者そしてストーリー執筆者有志で、谷口神父および彼のヘイト寄稿文を掲載した雑誌の編集局で会合を持つべき事案である」と書き送った。

それが効を奏したのかどうか、谷口氏および編集局宛に「LGBTとキリスト教-20人のストーリー-」の関係者たちが何らかの文面を送る運びとも聞いている。

我々『考える会』としては、“Lキリ”関係者たちが谷口氏サイドに文面を届けた後に、谷口氏によるヘイト寄稿文に対する声明を出す予定。

なお、昨日2.13にカトリック正義と平和協議会が、谷口氏の“書評”とそれを掲載した版元に宛た声明を以下に添付しておく。

正義と平和協議会はカトリックの本部組織でもあるゆえ、谷口氏も版元もこの声明に対して沈黙する手は無いであろう。



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『予言的映画作品』

(2023.2.11記)

1967年、第1回の『建国記念の日』の約二週間後に封切りされた大島渚監督作品『日本春歌考』 。

  受験で東京に出てきていた4人の男子高校生が、「2.11紀元節復活反対デモ」に加わっていた担任教師と彼の恋人に靖国神社前の九段坂で遭遇。
(このシーンのロケは実際に2月11日に降った大雪の中で撮影された)

   ネタばれになるので以下あらすじは書かないが、管理体制の中で抑圧されている若者たちの傍若無人な振る舞いを通して、天皇制およびその相似形的支配構造社会に対する鋭い批判の目を向けた、大島渚監督の最高傑作だと思う。

    1990.2.11東京都府中青年の家に宿泊していたキリスト教青年団体(ウィキペディアによると日本イエス・キリスト教団青年部)の数名による差別発言、そして、2000.2.11都立夢の島公園にやってきた4人の青少年たちが犯した殺人。

この2件の許されざるべき事件を、映画『日本春歌考』はあたかも予見していたかのようでもある。



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『2.11』

(2023.2.11)

1990年2月11日東京都府中青年の家宿泊拒否事件発生。
2000年2月11日都立夢の島緑道公園殺人事件(新木場事件)発覚。

性的少数者差別事件として語り継がれている府中&新木場の両事件は、首相秘書官による差別事件が勃発したこんなご時勢だからこそ、風化させてはならない!

わけても性的マイノリティ当事者たるキリスト者の我々にとっては。

なぜならば、府中事件の引き金になったことこそ、キリスト教青年団体(日本イエス・キリスト教団青年部)のメンバーによる性的マイノリティ団体への差別発言なのだから。


以下、ウィキペディア「東京都青年の家事件」より



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『練馬区内宗教者声明賛同要請行脚②』

(2023.2.9記)


本日ねりま九条の会事務局長とワタシとの午前中行動、練馬区内宗教者声明賛同要請行脚第二弾は、仏教5宗派6寺院教会・キリスト教2教団2教会、合計8ヶ所。

「武力威嚇による平和も可」とか「盗人を防ぐための鍵は必要」との意見も。

ともあれ、直接面と向かうことで得られる情報は、電子メールや郵便などによる一方的な伝達手段とは明らかに違う。

当たり前だが。

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『人権を謳うのであれば』

(2023.2.8記)

Xジェンダー/ノンバイナリー/ジェンダークィア……等の人々への明らかなマイクロアグレッションと言える名称の練馬区「人権・男女共同参画課」は総務部の傘下にある。

そして、車椅子利用者をはじめとするスロープ通路利用者こそ最も受動喫煙の被害に遭いやすい庁舎玄関先喫煙所の管理部署の練馬区「庁舎管理係」を管轄する総務課も、やはり総務部の傘下部署である。

人間の尊厳を表す『人権』という崇高な言葉に全く相応しからぬ課名は一刻も早く改称し、『人権』の一つである健康権を脅かす喫煙所は一刻も早く撤去すべきであろう。


この喫煙所の近くに『非核都市練馬区宣言』のプレートがあることは実に皮肉だ。



既に立候補予定者への説明会も済んだようだし、4月の区議選に出馬予定の人々も固まっていよう。

是非とも上記の件を心しておいて頂きたいところだ。


2002年3月を以って、時限立法・同和対策事業特別措置法(地対財特法)が期限切れを迎えたゆえ、それまで存在していた「同和対策担当課」と「女性課」が合流して出来た「人権・男女共同参画課」。

時限立法・同和対策事業特別措置法が『人権』と密接な関わりがあればこそ、真に『人権』に相応しい名称に一刻も早く改名すべきことは言うまでもないだろう!

練馬区ホームページより

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『国家権力にシッポを振りまくった異端キリスト教は何処なのか?』

(2023.2.7記)

2月5日のキリスト友会東京月会礼拝会におけるワタシの感話は、ねりま九条の会と我が友人の3人の宗教家(仏教・教派神道・プロテスタント)とで推し進めている「『安保三文書』の撤回を求める練馬区内宗教者声明」および区内各宗教施設への賛同要請行脚について話させてもらった次第。

マエ振りとして、事前に声明文をメール送信していたからか、東京月会の事務担当者のかたが気を回して下さり、声明文をプリントアウトしてみんなに配って下さっていたから話しが通り易かった。

さすがに「絶対平和・絶対非戦・絶対非暴力」を400年近く強調・墨守にしてきた教派だ。


英国国教会アングリカン(聖公会)やプロテスタント主流派、果てはカトリックからも「異端」のレッテルを貼られて迫害・弾圧の憂き目に遭いながらも、決して筋を曲げなかった信仰深さ。


戦時下において国家権力にシッポを振り、天皇をイエスの上に置いて再臨信仰を破棄したばかりではなく、戦争協力まで犯した挙げ句の果てに、信仰上の同胞(ホーリネスやセブンスデーアドベンチストなど)が十字架に付けられるのを見殺しにしてきた某キリスト教派の構成員は、今こそフレンド派を見倣うべきであろう。


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『練馬区内宗教者声明賛同要請行脚①』

(2023.2.3記)

昨日「『安保三文書』の撤回を求める練馬区内宗教者声明」への賛同を求め、ねりま九条の会事務局長とレナとで廻った区内宗教施設は、仏教6宗派12寺院・キリスト教9教団9教会・教派神道1教団2教会。

計23箇所でした。

写真は昼食のために立ち寄った区内某所ロビーに掲げられていたもの。

4月からのNHK朝ドラにちなんだもの。

『植物』『農業』は我が出身神学校にも大いに関連アリというワケで。


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『核兵器禁止条約・発効2周年にちなんで』

(2023.1.22)

2023.1.22キリスト友会東京月会礼拝会におけるレナの感話(要旨)

☆本日は核兵器禁止条約が発効して丸2年の日。

☆アメリカ大統領バイデン氏はカトリック教徒であるがペンシルベニア州の出身。

☆ペンシルベニア州と言えば、英国国家や国教会(アングリカン、日本名は聖公会)、そしてキリスト教主流派から迫害され、アメリカ大陸に逃れてきたクエーカー教徒が住みついた土地。

☆そこはウイリアム・ペンがアメリカ大陸先住民たちとの平和的交渉によって、クエーカー教徒たちの住まいとすることを許された場所。【注・迫害されてきたクエーカーだからこそ先住民たちから共感を持たれたに違いない。こうして、後に州都となったフィラデルフィアにクエーカーの世界本部が置かれた】

☆そしてもう一つ核問題関連で忘れてならないことは、第五福竜丸が母港焼津から出航したのが69年前の本日。

☆91歳の元・船長と87歳の元・乗組員は、既に召された21名の元・乗組員たちの無念を背負いつつ存命。

☆第五福竜丸は『核なき世界』に向けて現在も航海を続けている。

☆一刻も早い実現を期待したい。

☆以上2点を分かち合っておきたいと願った次第。

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『後輩からの「喝!」』

(2023.1.19記)

読み終えた友人がワタシを気づかって送ってくれた本。


「宗教2世」。このワードはキリスト教界隈での評判が芳しくなく、界隈では『「カルト2世」と表記すべき』との声があがっていると聞く。つまり、『我々のような健全なキリスト教と反社会的カルトを同一視すべからず』という主張らしい…

が、この書の中の松岡宗嗣氏の文章を読むと、「そんな(上記の如き)思考はおのれの傲慢の無自覚を露呈させているだけなのでは?」という気にもさせる。


この文面から察するに無宗教者であるとも思しき松岡氏は、学部こそ異なれど同窓の後輩でもあるのだが、「実に頼もしい後輩」から有り難い『喝!』を受けた印象だ。

つまりは、1998年《男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師》を輩出せしめた組織の一員(しかも当人とはカテゴリこそ大きく異なれど共に性的マイノリティ)として、取り組み姿勢の甘さを厳しく追及された気がする。

気合いを入れなければ……。


(以下引用)

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 宗教は誰かを排除するためではなく、弱い立場に置かれた人たちにこそ寄り添い、ともに生きていくためのものではないのだろうか。

 近年は、特に伝統宗教でも、性の多様性について団体内で勉強会を開いたり、当事者の話を聞いて知見を深めたりするなどの活動が広がっているところもある。しか残念ながら、性的マイノリティに対して差別的な姿勢をとる宗教団体はいまなお少なくない。

(松岡宗嗣)

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以上、「宗教2世」(荻上チキ・編著 太田出版)より、『旧統一教会だけではない、「性」をめぐる差別』(松岡宗嗣)より引用


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『いざ「賛同要請行脚」へ!』

(2023.1.16記)

『「安保三文書」の撤回を求める練馬区内宗教者声明』が固まり、区内の宗教家(宗教教職者)4名〈仏教2名/教派神道1名/プロテスタント1名〉の呼びかけ人も決まった。

上記4人の方々の“お墨付き”を以てして、“発起人”たるねりま九条の会事務局長と不肖のレナで区内の主だった宗教施設を可能な限り廻る『賛同要請行脚』に出向くことになろう。

ねりま九条の会事務局長は来年傘寿(80歳)になるがすこぶる健脚で、チャリンコで区内のあらゆるところに出向くヘルシー&エコロジカルぶりには敬服するが、如何せんこちらがそれに付いていけない。

さればワタシが彼の“お抱えドライバー”になるより他手段は見当たらない。ま、ガソリン代くらいは出してもらえそうだが。

どのくらいの数を廻れるか不明だが、数日間は要すだろう。

勿論、訪れた証左として、宗教施設の門札・看板・掲示板などの写真は収めておくつもりだ。賛同を得られたか否かの如何にかかわらず……。


PS

まことに恥ずかしながら、そして迂闊ながら、『「安保三文書」の撤回を求める練馬区内宗教者声明』の呼び掛け人の4名は全て男性であることに気付いた!

仏教1名・教派神道1名・プロテスタント1名、以上3人の方々はワタシと旧知の間柄であるが、ねりま九条の会事務局長と知己ある仏教者1名も男性だという。

4人全員が男性!

これでは余りにもジェンダーバランスが偏り過ぎている……

かくなれば、男性以外の性別に該当するレナが「日本基督教団東京教区」の肩書で加えてもらうことと相成りました。

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『我が恩師・大塩清之助氏&東海林勤氏との関わりにて』

(2023.1.11記)

日本基督教団東京教区の北支区(文京区・新宿区・北区・豊島区・板橋区・練馬区、および中野区の一部地域・埼玉県和光市の一部地域)にある教会・伝道所の「友人・知人・顔見知りの信徒・牧師」に向けて、添付3ショットと共に、以下の文面を同報メールBCCにて、昨晩送信した。

もちろん、今後の社会情勢のことを考えた上で……である。

以下コピーペースト

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北支区関係者各位

こんにちは

ねりま九条の会事務局長からの依頼を受けて書いた駄文拙文が読者にインパクトを与えたらしいので、ここで分かち合わせて頂きます。

なお、2015年の戦争関連法成立前、練馬の宗教者たち有志10数名(カトリック/浄土宗/真宗大谷派/天理教/立正佼成会/聖書キリスト教会)を先導する形で国会議員会館にロビー活動を掛けさせていただきました。

その際各宗派教団独自の作業服(袈裟やガウン)で会館内を闊歩したものでした。

戦争法案廃案を求める練馬区宗教者声明は、ワタシが起草し、我が恩師・故東海林勤さん(当時隠退牧師)と我が友人・小友聡さん(中村町教会牧師)と3人で練り上げたもの。

戦争法廃案を求める練馬区宗教者有志による声明は、衆参両議院のロビーの受付で、ワタシが声を大にして読み上げたのち職員に手渡したのでした。

以下蛇足ですが、添付記事に大いに関係あることなので加えます。

ワタシ、レナは、セブンスデーアドベンチスト信徒として在籍していた1990年代前記、教団戦争責任告白を起草した大塩清之助牧師の推薦で農村伝道神学校に入学、1学年上にはセブンスデーアドベンチスト系列の中学高校のOBでもあった平良愛香くんがおりました。

なお、開戦直前、日本基督教団が成立した際、セブンスデーアドベンチストは教団への合流を拒絶し、結果、特高からの迫害・弾圧の果に投獄(獄死者あり)、さらには解散命令まで下されたのでした。

教団はわりと近年になって第6部と第9部には公式に謝罪しましたが、第7部に加えられる予定ながらそれを拒否したセブンスデーアドベンチストにはまだ公式謝罪していないはずです。

また、先述の愛香くんが農伝卒業間際、あの✕✕✕✕(注・人名です!)差別発言によって大いにキズつけられた時、ワタシも在校生有志を先導(扇動?)、✕✕氏をはじめとする教団上層部に充てて抗議書面を送り付けたものでした。

(彼は、ワタシの年の離れた実弟よりも更に若いので、いわば弟のような存在です)

なお、先述の2015年戦争法案に反対する練馬宗教者の共同声明への賛同者には、当時○○○○○教会牧師だった✕✕✕✕氏も加わってくれましたよ。

以上

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以上コピーペースト




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『フィンランディア-やすかれわがこころよ-』

(2023.1.8記)

本日のキリスト友会東京月会礼拝会のなかで、感話と共に賛美歌298『やすかれわがこころよ』をアカペラ歌唱させてもらった。

3年前の今頃は、まさにイランとアメリカが戦争を始めそうな気配があり、平和を願ってやまない祈りのもとに訪れた東京月会礼拝会への初参加であった。

その時に「お守り」の如く持参したのが、クエーカーの世界本部があるフィラデルフィアにある世界指折りのオーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団とその付属合唱団によるシベリウス『フィンランディア』のCD。

同曲は、120年程まえ、帝政ロシアからの圧政に悩むフィンランド人の自由を求める叫びがシベリウスによって音楽としてしたためられたもの。

その一部が賛美歌となり、日本では298番として通っている。

ワタシ1人のソロ歌唱だったので、ジェンダー平等の観点からみて相応しからぬ歌詞の箇所は(まことに勝手ながら)ワタシなりに変えて歌わせてもらった。

第1節「おおしく忍び耐えよ」→「凛々しく忍び耐えよ」

第2節「父なるあまつかみのを」→「親なるあまつかみのを」

これがなぜかウケたようで、礼拝会終了後、みんなで298番を歌おうということになり、「凛々しく」「親なる」で歌って下さったことが大変に嬉しかった。

ワタシの歌唱も歌詞の(勝手な)改変も、共に受け入れられた感を覚えた次第。

やすかれ わがこころよ

主イェスは ともにいます

いたみも くるしみをも

凛々しく 忍びたえよ

主イェスの ともにませば

たええぬ 悩みはなし


やすかれ わがこころよ

なみかぜ たけるときも

親なる あまつ神の

みむねに ゆだねまつれ

御手もて 導き給う

のぞみの 岸は近し


やすかれ わがこころよ

月日の うつろい無き

御国は やがて来たらん

憂いは とわに消えて

輝く みかお仰ぐ

いのちの 幸をぞ受けん

シベリウス『フィンランディア』他

ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団&同合唱団(1972年録音)

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『抑えよう無き胸のうち』

(2023.1.5記)

以下、昨年10月4日から続くギリギリのメンタルヘルスの状態ゆえフィジカル面にも悪影響が出ているであろうことが推測される現状下、これらのストレッサーを僅かながらでも緩和/軽減させることを願っての『つぶやき』。

 宗教者わけてもキリスト者、とりわけ性的マイノリティ当事者、そのなかでも特にトランス当事者の諸氏たちからの理解&共感(共苦)を期待しつつ……

「楊尚眞氏による差別講演録冊子」の件でさんざん苦しめられた挙げ句に、さらにその上、上記冊子に関する抗議文の件でさらなる苦しみを味わされている状態…………。

こんな状態の継続の中で、信仰心までをも軽んじられたりしたら、怒り以外の何の感情をいだけようか!……

こうしたメンタル&フィジカル面の自衛策としての「つぶやき」すらも、“相手”(本人はどうやらセクマイフレンドリーを自認しているようだが…)を逆撫でするのだろうか?

だとしたら、それはトランス差別でなくて何だろうか?

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『ホーリネスとセブンスデーの名誉』

(2023.1.5記)

ねりま九条の会事務局長と別件で話しをした際、会報の最新号にワタシが書かせてもらった駄文拙文についての話を聞いた。

何でも、編集会議の段階でワタシを気使う声が上がったとか。

つまり「教団内でレナさん孤立しないか知ら……」との感想があったらしい。

しかし流石に事務局長、「これはレナさんの主張だから!」と返したとのこと。

まあ、教団内での孤立を恐れてたらこんな文章書けないし、そもそも既に孤立気味だし…。

なお、日本基督教団に合流しながら国家権力に面従腹背し、基督再臨信仰を固く維持したホーリネスや、国家権力に“面背腹背”して日本基督教団への合流そのものを拒絶したセブンスデーアドベンチストは、(国家権力にシッポを振りまくった不信仰極まりなき日本基督教団主流派とは異なり)特高警察からの迫害と弾圧の果てに全牧師と有力信徒が投獄され、獄死者まで出し、さらには解散命令まで受けるという、実に“不名誉な”憂き目に遭った。

しかし両派の固き信仰心は間違いなく神やイエスに評価されているであろう。

以上上記2派の栄えある名誉のために。


「ねりま九条の会ニュース」第106号より

PS

しかし、敗戦直後に結党された日本社会党の結党呼びかけ人の中に、日本基督教団主流派に属する賀川豊彦と杉山元治郎という2人の牧師が含まれていたことは、或る意味において「オチ」にもなろう。

さらに、不肖のレナの支持政党こそ、他の如何なる政党にも増して旧・日本社会党の流れを汲む政党、新社会党である事実も「オチ」の続きと言えよう。

「オチ」はまだある。

日本社会党結党呼びかけ人に加わった2人の日本基督教団牧師のうち、杉山元治郎はレナが卒業した神学校と些かの関わりがあるようだ。

さらにさらに……

レナが卒業した神学校の現・校長は、その中学高校時代、セブンスデーアドベンチスト系列の学校法人三育学院を学び舎としていた。

その神学校の現・校長こそ、「男性同性愛者であることをカムアウトした日本初の牧師」である平良愛香くんであり、彼が卒業した翌年に卒業した不肖のレナこそ、「両性両性愛者であることをカムアウトした日本初の牧師」なのである!

繰り返しになるが、1998年愛香くんが神学校卒業直前、そのイレギュラーな性的指向ゆえに教団上層部から就労差別発言を受けた際、大きく落ち込んだ彼を励ます意味をも以て教団上層部に抵抗し、彼らを糾弾した学生有志の中の(おそらく)唯一無二の性的マイノリティ当事者がレナなのである。

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『今年の“初夢”』

(2023.1.3記)

医学博士・平山雄さん(1923~1995)と作曲家・中田喜直さん(1923~2000)。

日本の反タバコ運動2大巨塔の生誕100年のアニバーサリーイヤー2023年の世界禁煙デー・イベントでは、中田さん作品の『クリーンエアー ~きれいな空気を~』を、「嫌煙権確立をめざす法律家の会」代表世話人の伊佐山芳郎弁護士によるピアノ伴奏、そして「レイコ&レナ」(「日本禁煙推進医師歯科医師連盟」会長・齋藤麗子医師&不肖の麗梨ReNa)によるデュオでオープニングをつとめて……という『今年の初夢』!

会場は、33年前の世界禁煙デー・イベントにて、中田喜直さんご自身のピアノ伴奏による『クリーンエアー ~きれいな空気を~』を《共に若かりし日の》「レイコ&レナ」がデュオったセブンスデー・アドベンチスト教団 東京中央教会で!

などという勝手な妄想www


添付写真の撮影者は、「嫌煙権確立をめざす人びとの会」代表世話人/「たばこ問題情報センター」事務局長・渡辺文学さん。

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『今年は作曲家・中田喜直氏の生誕100年』

(2023.1.3記)

読者の皆様、明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い申し上げます。

さて、新年第1投稿、今年は作曲家中田喜直生誕100年(8月1日)。

日本クラシック音楽業界でも当然ながら記念行事が行われると思われるのだが、熱烈な禁煙嫌煙活動家のとしての中田喜直氏のポジションも忘れてはならないだろう。

偶然にも一昨日1月1日は、言わば禁煙嫌煙運動の「顔」であり、疫学の第一人者、平山雄医学博士(1923~1995)の生誕100年のアニバーサリーデイであった。

中田喜直氏を記念し、声楽家/音楽教師であった我が叔父の大親友・岩田幸雄氏の編集による「クラシック音楽家歴史年譜」より「中田喜直編」。

中田氏と反タバコ運動については特に1988年~1990年の箇所にて詳細な解説が付されている。

https://history-of-music.com/yoshinao-nakada 

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『人生のセンパイとしての発破掛け。心して聴くように!ww』

(2022.12.28記)

「LGBTとキリスト教~20人のストーリー~」(監修/平良愛香・発行/日本キリスト教団出版局)が「教文館店長が選ぶ今年の3冊」に選ばれたらしい。

以下のURLに動画が。

https://youtu.be/n1BCvZQHqdo


本来「21人目」として『某牧師と某キリスト教メディア幹部職員によるトランスジェンダー差別事案』を書かせてもらってもおかしくないながらも、諸般の事情で編集部から却下された身とは言え、宣伝してやろう。

今年は「キリスト教セクマイヘイター“三位一体”」(楊尚眞弘前学院大学教授/統一教会/性の聖書的理解ネットワーク)が跋扈しまくった年だけに、同書の版元・監修者・20人の著者らの使命は大きい。

キリスト教こそが“最たるセクマイフォーブな宗教”と云う認識が従来より社会的に拡がっているからこそ!

却下された者としては、せめてもの版元・監修者・著者たちに発破掛けるくらいはさせてもらわないと。

先述の『某牧師と某キリスト教メディア幹部職員』に二度と同じ過ちをおかさせない為にも。

『男性同性愛者であることをカムアウトした日本初の牧師』の輩出に至らしめた神学校同窓生(しかも同時期に同じカマのメシを喰らった者同士)としての矜持をもって。

加えて『両性両性愛者であることをカムアウトした日本初の牧師』としての立場からも。

ましてや、「男性同性愛者であることをカムアウトした日本初の牧師」の彼が教団上層部から就労差別発言を受けたとき、上層部の連中を糾弾すべく立ち上がった在校生有志たちの中の唯一無二とおぼしき性的マイノリティ当事者こそ、ほかならぬアタクシ、レナ であったワケでごさいますので……フフフ………

(^^)(^O^)/

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『本年シメの禁煙嫌煙定例会にて』

(2022.12.18記)

昨夜の禁煙嫌煙定例会にて司会進行者から参加者各々に対し、今年の総括も来年の抱負について振られ、


『約3年前コロナ禍始まった直後、都内23区の区役所にTELして各自治体の喫煙規制調査をしたところ、恥ずかしながら我が練馬区が最低最悪の状況にあることがわかった。(敷地内完全禁煙の7区を除き)ほとんどの区役所が喫煙所を1箇所に限っているにもかかわらず、練馬区と品川区は2箇所の喫煙所がある。しかし品川区役所はこのご時勢を配慮して(2箇所とも)この約3年間一時封鎖を続けている。今年も練馬区サイドには「せめて区役所玄関先喫煙所だけでも封鎖せよ!」と口を酸っぱくして言ってきたし、この夏にはワタシと親しい練馬区議(兼・牧師)および、禁煙嫌煙アクティビストの弁護士から紹介された練馬区議の2人の同席のもと、(庁舎敷地内喫煙所を管理する)総務課長と健康推進課長にリアルに会い、受動の恐ろしさを力説するも聞き入れられず、悲しいことに区役所玄関先喫煙所は今も開放されたままである。実は、中には香害問題に熱心に取り組んでいる練馬区議もいるのであるが、困ったことに(来庁者の)受動喫煙被害のリスクよりも区職員の“喫煙の自由”を優先しているような印象。この玄関先喫煙所の恥ずべき状況を来年こそは何とか改善をみたいところ。』


との趣旨を伝えさせていただいたところ、同席していた禁煙嫌煙アクティビストの弁護士から、来庁者の健康権よりも区職員の“喫煙する自由”に重きを置いていると思しき議員について、

『とんでもないこと!』

という“喝!”の合いの手が入ったことは言うまでもない。


日本における反タバコの啓発活動については元来キリスト教組織がパイオニア的役割を担ってきた。

セブンスデーアドベンチスト教会(日本禁煙協会)・日本基督教婦人矯風会・救世軍・末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)………。

とりわけ前2者による社会的貢献度は世界レベルの認知度と言えよう。

練馬区議の中には、ワタシが知るだけでも、(日本基督教団牧師を兼ねている区議を含めて)2名のキリスト者議員がいる。


禁煙嫌煙アクティビストの弁護士と親しい練馬区議や、党中央レベルで喫煙規制意識が高いと思しき共産党の練馬区議たちと是非とも連帯し、『東京都下23区最低最悪の喫煙規制状況』の改善を進めて欲しいところである。



議員たる者であれば、車椅子利用者などのスロープ通路を用いる来庁者こそが受動喫煙の最たる被害者になりかねないことに心を痛めて然るべきではなかろうか?

ツイタテの場所が喫煙所である。スロープ通路との距離の近さにご注目を!



喫煙と健康女性会議/日本キリスト教婦人矯風会/日本禁煙協会(セブンスデーアドベンチスト教会)/嫌煙権確立をめざす人びとの会、以上4団体による署名活動に取り組む、20歳台のレナ。

当時ワタシは日本禁煙協会と嫌煙権確立ををめざす人びとの会、双方のメンバーでありました。

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『拙稿「統一教会とキリスト教」(ねりま九条の会ニュースより)』

(2022.12.17記)

「ねりま九条の会NEWS」最新号(106号、2022.12月号)の第7頁に拙稿が掲載されました。

ワタシ的に何かと縁がある数字「7」のページに掲載されて何気にウレシ気味。


尚、以下のリンク先で拙稿以外の記事も全て読めますので、ご関心あればどうぞ。

http://nerima9zyounokai.com/html/news106.html


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『アファーミング・プログラムにて』

(2022.12.16記)

昨日(2022/12/15)、日本基督教団部落解放センターに宛て、次の要請メールを送信した。

バイジェンダー当事者として重要極まりなき案件と思しいゆえ。

なお、文中にある「キリスト教界におけるトランスジェンダー差別の一事例」とは、当ブログの以下のURLのページに記した「第8回」までの記述(つまり2021年6月現在までの)の内容を詳細に語ったものである。関心があればどうぞご覧あれ。

https://religionandsexualminority.blogspot.com/p/etc.html?m=1 


以下コピペ

↓↓↓↓↓↓↓↓

日本基督教団部落解放センター御中

✝主の御名を崇めます。

さて、貴組織が農村伝道神学校およびマイノリティ宣教センターと連帯して進めている事業であるアファーミングプログラムについて、第一回プログラム(昨2021年6月オンライン開催)にて、「キリスト教界におけるトランスジェンダー差別の一事例」について登壇発言させていただいた両性両性愛者(バイジェンダー・バイセクシュアル)の当事者の立場にて、以下希望致します。

第一回プログラムのおりの基調講演の講師・ロバート・ウィットマー氏(当時、農村伝道神学校 校長)によって紹介された、北米大陸先住民族独自のジェンダーであるトゥー・スピリットについてさらなる啓発を深めるプログラムを(第二回以降も)継続して頂きたいと願います。

【理由】

日本においては、「男女の枠にはいりきらない性別や男女いずれか一択固定ではないような多種多様なあらゆる性別」の人びとの存在はなかなか認知されづらく、その人権も蔑ろにされている感もある。《ちなみに、北米大陸先住民族独自のジェンダーであるトゥー・スピリットも上記のカテゴリに含み得るジェンダーであろう》

一例を示せば、「男女平等」とか「男女共同参画」などというワードが未だに(当たり前の如く)広く流通している。これらが「ジェンダー平等」「オールジェンダー共同参画」等のワードへと取って代わる社会の実現が必要不可欠と思われる。

教団部落解放センター/農村伝道神学校/マイノリティ宣教センターの以上3者で取り組んでいるアファーミングアクション、アファーミングプログラムにてトゥー・スピリットに関する学びを掘り下げてゆけば、上記の如き「あらゆるジェンダーの人びと」にとって生きやすい社会の実現に向け、拍車が掛かることをバイジェンダー当事者として念願しつつ。

以上、ご検討願えれば幸いです。

主よりの御恵みと祝福が、3者によるアファーミングアクションの働きの上に豊かにあらんことを祈りつつ。

なお、補足として2つの添付資料(キリスト友会東京月会機関紙『東京フレンド』2021年12月号より)を付けましたのでどうぞお読み下さいませ。

2022年12月15日

日本基督教団東京教区教師

麗梨ReNa

(教団登録名=○○○○)

〈教団部落解放センター 元(1996年度)夏季実習生〉

〈東京教区部落解放五支区代表者会 ・元代表(2004~2006)〉

〈「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議 元事務局長(2006~2008)〉

〈練馬コイノニア集会 代表〉

〈キリスト友会東京月会 会友〉


↑↑↑↑↑↑↑

以上コピペ

以下添付資料



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『来春の区議選との関わりで』

(2022.12.15記)


11月21日付けで、

『来春に迫る練馬区議選に関連し、立候補しそうな革新系の何人かの人びとに向け、次の3点についての質問を何らかの形で送付し、得られた回答の公開を検討中。もちろん無回答の場合はその旨の公開も検討中』

①コロナ禍以降実に(そろそろ)3年近くにわたり、エアロゾル感染のリスクも鑑みることなく開放されたママの練馬区役所玄関先喫煙所に関すること。

②練馬区総務部傘下部署として存在している「人権・男女共同参画課」なる部署の名称自体の差別性に関すること。

③統一教会関連問題に関すること。


という内容のトピックをフェイスブックの友達限定投稿したところ、現在特に社会的関心の高まりをしめしている③の件に関するFB投稿をしたFBフレンドの区議が2人いたが、これは正直、思ったより少ない。

ただその両区議のコメント欄にカキコしたところ、いずれも前向きな反応コメントをもらえたことは嬉しい。


PS

①②については軽視してヨシ…などと思ってくれては困る。

いずれもワタシのジェンダーアイデンティティに関わることであるゆえ。

【補足説明①】


ツイタテが喫煙所の位置。スロープ通路との距離の近さにご注目を!(スマホカメラの広角レンズゆえに多少奥まって見えるかも知れないが…)

【補足説明②】

「人権・男女共同参画課」。この名称では『男女の枠に入りきらない性別や男女いずれか一択固定ではないような多種多様なあらゆる性別の人びと』の存在ならびに人権が蔑ろにされているように思える。


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『確信犯なのか?』

(2022.12.13記)

穿った見方になるのかも知れないことを踏まえつつ、以下書き記す。

“某・宗教系反差別団体トップ”(日本基督教団教師)が、ワタシの浄土宗門徒としてのアイデンティティを以て続けている毎日夕の仏前勤行読経、そしてクエーカー会友(未だクエーカー教徒に非ず。これは重要点!)としてのアイデンティティを以て続けている毎日曜のクエーカー礼拝会出席&そこで時々行なう「感話」。これらについて攻撃してくる理由は、上記の宗教行為を欠かさず続けることでメンタルを(ギリギリ綱渡り状態で)何とかかんとか保っている状況を、破壊せしめんとする思惑が働いている可能性も無きにしも非ず……とすら思われる。

ソフトなトランスヘイター体質とバリバリな性別二元主義をワタシから指摘されての逆ギレの果に、他人の信仰的アイデンティティを踏みにじってくるなんざ、宗教家としての適性すら問われよう。

北米大陸の先住民族(マイノリティである!)の独自のジェンダーである「トゥー・スピリット」についての詳細を、農村伝道神学校の前・校長でカナダ合同教会宣教師のロバート・ウィットマーさんから昨年6月に聴いている筈だが、居眠りでもしてたのだろうか?

本人は日本基督教団部落解放センター協力委員でもあるはずなのに……

ワタシとのメール議論に沈黙してから既に丸々5日経過した。


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『途方もなく大きな「母性」に抱かれて』

(2022.12.8記)

4日の日曜午後、豊島園前の浄土宗寺院における叔父の三回忌法要の当日、遠路遥々駆け付けてくださった叔父の高校時代からの大親友の人から未開封新品でいただいた、声楽家・戸田敏子(1922~2015)のアルバム。

アルバム中ワタシが唯一知っている作品は、マーラーの歌曲集『子どもの魔法の角笛』のワンピース、『ラインの伝説』だけだとばかり思っていたのだが、さにあらず。

黒人霊歌『イエスの許にのがれよう』は、神学生時代、学校礼拝の場において或る神学生はたまた或る教員(誰だったかは失念!)の指導で学生&教師たちみんなで歌ったことがある曲であった!【否、日本基督教団東京教区北支区青年部の例会だったかも知れぬし、或いはセブンスデーアドベンチスト天沼教会青年会の修養会だったかも知れぬ……。まあ30年近く前のことは正確には思い出せない。が、しかしこの黒人霊歌が(3か所中)尤も相応しい場所は農村伝道神学校礼拝堂であろう、間違いなく!】

仏教行事(しかも声楽家だった叔父の法事)においてキリスト教の霊歌(しかも被差別マイノリティによる作品)と感動の『再会』を果たすとは、実にワタシらしい。

なお、このアルバムをプレゼントしてくれた方が作成した以下のウェブサイトをみると、戸田敏子さんが名アーティストであると同時に、名師匠であったことがビンビンに伝わり来る。

あの著名作曲家・中田喜直さんの姪にあたる声楽家・中田順子さんも戸田さんの門下生であり、このアルバム作成にあたっての発起人の1人である。

https://history-of-music.com/data/todas-disciples


途方もなく大きな「母性」に抱かれつつ揺るぎ無き「安堵」の中に居るごとき感覚になるアルバムか。

なお戸田敏子さんの門下生の1人・中田順子さんの父君・中田一次さん(つまり喜直さんの実兄)は、日本基督教団の信徒であった。



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『「12.8」が来れば思いだす』

(2022.12.8記)

真珠湾攻撃で戦艦アリゾナを沈めた空爆機に搭載されていた砲筒は戦艦長門のそれと同型であり、それゆえ米軍による長門に対する感情は特別であった旨、書籍で読んだことがある。

しかしながら、日本の戦艦中で戦後も唯一稼働可能だった戦艦として「長門」は生き残った。

戦勝国軍として「長門」を接収した米軍は、翌1946年7月ビキニ環礁における原爆実験クロスロード作戦の標的艦のひとつとして「長門」を選んだ。

同作戦の第1弾エイブル原爆に耐えた「長門」は続く第2弾ベーカー原爆を受けた数日後にゆっくりと海中に沈み始めた。

そしてその8年後の1954年3月同じくビキニ環礁における水爆実験キャッスル作戦の第1弾、ブラボー水爆で被災した1000隻あまりの日本漁船のうち、爆心地から最至近距離で被災したのが第五福竜丸だった。

ワタシの父の6つ年長の伯父は戦艦長門の乗組員であり、父/伯父/伯母/叔父/叔母側の親族のひとりが第五福竜丸の船長である。


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『5年前の思い出のCD』

(2022.12.6記)

2017年暮れ、1990年代半ばに母校・農村伝道神学校で「性差別問題講座」「新約聖書釈義」「神学読書」…等を教わった恩師・東海林勤さん(1932~2020)を大泉学園町のお住まいに訪ねた。

当時新刊書だった、平良愛香くん(農村伝道神学校 現・校長)が書いた「あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる」をXmasプレゼントとして渡す目的もあった。

そのお返しというわけだろう、東海林さんの娘さんの世界的ハーピスト・東海林悦子さん(パリ市の音楽院にて教鞭も執っている)の新譜のCDの新品未開封品を頂いた。(実はCDのほうが本よりも高価……)

しばらく所在不明で困惑していたところ、4日の日曜日、クエーカー東京月会の礼拝会出席後に区内の浄土宗寺院にて声楽家だった叔父の三回忌法要の施主を務めた御利益/御恵みなのか、ひょんなことで発見!

嬉しい。

神学生時代、1979年米国プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議(WCRP-Ⅲ)での東海林さんによる日本における部落差別問題に関する提起についての詳細を聴くために、仲間と共に東海林さんの当時の赴任教会の牧師館を訪ねた際、たまたまハーピストの悦子さんとお友達のフルーティストもいらっしゃっていて、ワタシたちにプロの生演奏を(無料で!)聴かせてくださった良き思い出もよみがえった。



 

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『「X/NB/GQ……等」の存在や人権は何処に…』

(2022.12.5記)

2002年3月を以って時限立法である同和対策事業特別措置法(地対財特法)の期限が切れたことで、練馬区総務部「同和対策担当課」は従来から存在していた練馬区総務部「女性課」と合流、練馬区総務部「人権・男女共同参画課」として生まれ変わった。

こうした経過を踏まえればこそ、「男女の枠にははいりきらない性別や男女いずれか一択固定ではないような多種多様なあらゆる性別」にカテゴライズし得るジェンダーアイデンティティの人びとの人権ならびに存在に配慮しているとは言い難い同課の名称は、一刻も早く改称すべきものと考える。

練馬区民および練馬区議ならびに東京都議のフレンドの皆さん!、および性的マイノリティ当事者わけても「男女の枠にははいりきらない性別や男女いずれか一択固定ではないような多種多様なあらゆる性別」にカテゴライズし得るジェンダーアイデンティティの皆さん&性的少数者キリスト者の皆さん!

如何であろうか?

参考までに当会の過去のイベントの報告URLを以下に。

2022.5.2オンラインイベント『中性を生きる/両性で生きる』

https://religionandsexualminority.blogspot.com/p/202252.html?m=1



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『2022.12.4キリスト友会東京月会礼拝会におけるレナの感話要旨』

(2022.12.4記)

☆ヨハネ伝1:9~13、および同伝3:16を引用したYさんの感話に励まされた。

☆宗門宗派教団教派を超えた宗教教団のメンバーが一同に集って共にあらゆる差別を根絶するために働いている組織があるが、その組織のトップである日本基督教団教師から過日驚くべきことを言われた。

☆つまり彼の云うことには、「レナは日本基督教団教師であるにもかかわらず、毎日朝夕の仏前勤行読経をしているにとどまらず、毎日曜日にはフレンド派の礼拝会にかかさず出席している。これは実に由々しきことであり、今後は共に反差別の運動は出来ないかも知れない」ということ。

☆通常の人権感覚を持つ人間(しかも宗教者である!)であれば、他人の信仰的アイデンティティに土足で立ち入り、他人を踏みつけてくるようなことはまずやらない。

☆そんなことをヌケヌケと言ってのける同労者がいることが大きな驚きである。これは言わばカルト的発言とは言えまいか。

《中略》

☆マリヤは聖霊によって両性具有者/単為生殖者として世に出され、イエスを生んだ。イエスは性的マイノリティから生まれた者であることに希望を見出したい。

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『年下♂への呼称』

(2022.11.24記)


男のフリをしていた我が若きサラリーパーソン時代、上司や先輩に「呼び捨て&“お前”呼ばわり」の禁止と「“くん”付け&“キミ”呼ばわり」要求を通告し、違反があるたび口喧嘩になっていたが、最近の(特にキリスト業界の)年下の♂諸君は、さらにプライドが高まったようで、年長者からも「“さん”付け/“あなた”呼ばわり」を当たり前の如く期待しているようだ。

こちとらは古い気質の持ち主ゆえ、年下の♂とある程度親しい関係性がつくれたと思しき時点で「“くん”付け&“キミ”呼ばわり」に自然にシフトするのだが、どうもそれも不満がられるケースが散見される。


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『聖書の無謬/聖書の誤謬……?』

(2022.11.15記)

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注・下記を読んだ現・校長から連絡があり、『現・校長もたぶん同じことを言うでしょう』とのこと。(11·24付加)

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聖書以外に聖書と同等の権威を有する「教典」を持つ教派・教団・教会が存在したとしても、その「教典」や教義/教理/教学が公序良俗に抵触していたり、反社会性を帯びたりしていない限り、何らの問題は無い…というのがワタシの個人的見解。

そもそも聖書それ自体に公序良俗に反したり、反社会性を帯びる記載や記述が全く無いとも言えないだろうし。

ワタシが卒業した神学校の当時の校長(念の為記しておくが、現・校長に非ず)とは互いに教室などでさんざん怒鳴り合った親しき間柄ではあるが、1996年に浄土真宗本願寺派総本山西本願寺の宿坊を会場に開催された日本基督教団部落解放全国会議・京都大会における、以下の彼の登壇発言、

『聖書を基準にして社会の善悪を見極めることを教える神学校は多いだろうが、ウチの学校では社会正義を基準にして聖書の記載/記述の正しさ・誤りを(学生教師共々)学びあっているのだ』

これを聴いたワタシは思わず、『ナイス!』と指を鳴らしたものだ。

もちろん、現・校長も当時の校長と同様の意見だろう。

たぶん………?


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『タバコCM廃止要求活動中の想い出』

(2022.11.8記)

セブンスデー・アドベンチスト信徒時代、複数の人びとから『あなたは三育学院神学部で学んで牧師をめざしたほうが良い』とすすめられたことは事実。

しかし、仲間と寝食を共にする寮生活の中で超イレギュラーなジェンダー・セクシュアリティを隠し通すことは至難のワザ。

仮にそれが成し得たとしても、セブンスデー教団の体質として、神学部を修了して牧師として教会に赴任する前に、シス女性との「法律婚」を強要されることは間違いない。

その頃既に「夫婦別氏の法制化を実現する会」のアクティヴメンバーのハシクレとして、榊原富士子弁護士や福島瑞穂弁護士などと共に別姓運動にも(禁煙嫌煙運動同様に)肩入れしていたし、そもそも仮にシス女性との「法律婚」を果たした上で“子づくり行為”にどんなに励んだとしても、おそらく生物学的/解剖学的/遺伝学的理由によって子どもをつくることは叶わないと思われる。

あの「もの○の塔」や「統○協会」にも教理的教義的影響を及ぼしたとみなされることもある程に保守的な体質のセブンスデーアドベンチストゆえ、人工授精など認めるハズなどないゆえに、ワタシもしくはパートナーのシス女性に対して「牧師不適格」「牧師夫人不適格」の烙印のラベリングすらされかねない……

そこまで考えを巡らせると、(禁煙嫌煙運動は今後も続けるとしても)セブンスデーアドベンチストの牧師となることは見合わせるべきとの選択に。

そんなこんなで、日本キリスト教団認可神学校の中でもとりわけ“極左”のレッテルを貼られることもある農村伝道神学校で学ぶことを決心、自身の超イレギュラーなジェンダー・セクシュアリティについてはおいおい解決していける確信のようなものも感じたことも事実。

農伝で学び始め、後に「日本で最初に男性同性愛者であることをカムアウトした牧師」となる、7つ年下の平良愛香くんと出会ったことは大きなターニングポイントになった。彼はワタシが農伝で学びを始める前年、彼の入学直後の授業中にイレギュラーな性指向を学生・教師らの前でカムしていたのである。

しかも彼は、日本キリスト教団信徒でありつつ、同時にセブンスデーアドベンチスト系列の全寮制中学・高校のOBでもあった。それゆえ彼の中学高校の同窓生とワタシの信仰上の「兄弟・姉妹」(← 敢えてこのワードを用いてみた次第)とはかなりの数カブっているのだ。

とはいえ、農伝在学中、ワタシの超イレギュラーなジェンダー・セクシュアリティたる両性両性愛をカムアウトすることは出来なかった。

たった一つ例外的に、愛香くんにだけはイレギュラーな性指向(両性愛)「だけ」をカムしたのみであったが。

添付写真は、アンビバレントな思いを引き摺ったママでセブンスデー信徒を続けつつ反タバコ運動に邁進していた時期を象徴するかのような絵となっている…(と思う) ww……


1980年代末、反タバコイベント会場入り口における1シーン。仲間のN村N生氏撮影。

「喫煙と健康」女性会議/日本キリスト教婦人矯風会/日本禁煙協会(セブンスデー・アドベンチスト教団)/嫌煙権確立をめざす人びとの会、以上4団体が推し進めたこの署名活動が功を奏したのは云う迄もない。


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『椰子の実』

(2022.11.1記)

神学校恩師の伯父ぎみにあたる名歌手・東海林太郎の代表曲が突如として聴きたくなった。

我が恩師が日本宗教界における反核反原発運動の重鎮/牽引役のひとりでもあったことを思えば、流れ来た「椰子の実」がビキニ環礁由来と思えなくもない。

つまり、我が親族が第五福竜丸の船長であったことに照らせば、ここにもまた不思議なつながりを感じざるを得ないのである。

作詞者島崎藤村も作曲者大中寅二も、共にキリスト教背景を有する者(島崎は明治学院出身、大中は日本キリスト教団霊南坂教会オルガニスト)であることを思えばなおさら。

1936年、藤村・大中・東海林によって生まれたこの名歌はその18年後に勃発した大事件を預言した歌なのかも知れぬ。


https://youtu.be/SEgp51Zg2aw


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『牧師あるある。キツめ』

(2022.10.15記)

ある特定の個人を指して、『〇〇さんは自分では気付いてないだろうが、□□である』と他人の人となりや気質などを断定してくる牧師は決して少なくない。

とりわけ、“自分では気付いていないだろうが…”のフレーズが問題。

神仏でもない限り、当の本人以上に当の本人の人となりや気質を知る者は不在のハズ。

安易安直なレッテル貼りは明らかに当の本人への侮辱に他ならない。

敢えて云わせてもらえば、くだん言い回しを平然と言ってのけてしまえる者こそ、【たぶん自分では気付いてないだろうが】傲慢の罪にどっぷり浸かってしまっていると思しい。

ワタシ自身、『あなた自身は気付いていないだろうが、(あなたは)……………だ。』という類の言い回しを面と向かって言われたことが何度もある。

常に講壇の高みから語り続けていると人権感覚が麻痺してくるのであろうか?

ワタシがキリスト教における職制はもはや不要であることを確信しているは、そうした被差別体験が少なからず影響しているのだろう。

まあ、幸いなことにワタシが親しくしている牧師たちにはそんな愚者はいないのだが。


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『三吉』

(2022.9.24記)

日本聖書協会のウェブサイトより。

https://www.bible.or.jp/events/event/kinenshikiten_221004


今年の「聖書和訳頌徳碑記念式典」は10月4日。

同式典は、現存する最古の日本語訳聖書の記者ギュッラフ宣教師に日本語を教えた遭難船の生存者、「音吉・久吉・岩吉」《通称・三吉》の功績を讃えて毎年行われている。

ちなみに、あの第五福竜丸の乗組員にも《三吉》がいた。しかも3人とも幹部だ。

無線長・久保山 愛吉

船長・筒井 久吉

漁労長・見崎 吉男

(3人のうち、存命者は船長・筒井久吉氏のみ)


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『9・23』

(2022.9.19記)

間もなく「9.23」。そう、第五福竜丸・久保山愛吉無線長の68回忌。

それにしても日本の反核運動史上最大の愚行にして最悪の恥辱・『暁の決闘/墓前の決闘』において、より非があるのは「総評&(旧)社会党系グループ」である気がしてならない。

もちろん「原水協&共産党系グループ」には非は無い、とは言わないまでも。

1964.3.1の墓前集会を主催した日本宗教者平和協議会(=宗平協)がその証言者と言えるのかも知れない。


1964.3.1.焼津市の曹洞宗寺院境内で勃発した、原水協&共産党系グループ vs 総評&旧・社会党系グループ(後の原水禁)によって引き起こされた愚行中の愚行、『墓前の決闘/暁の決闘』の主たる被害者のひとり、第五福竜丸船長の眼から見ると、この日本の反核運動史上最大の恥辱は、『ヒバクシャたちを利用した覇権争い』にしか映らないであろう。


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『現・新社会党 ≒ 旧・日本社会党』

(2022.8.21記)

『釈迦に説教=基督に説法』になってしまうかも知れないが敢えて言おう!

旧・日本社会党(敢えて言う、現・新社会党と)の結党呼びかけ人に2人の日本基督教団牧師(杉山元治郎と賀川豊彦)が加わっていた。そう、つまり「キリスト教社会主義」の確立をめざしていた人びとも当時は皆無で無かっただろう。

結党呼びかけ人になった牧師は杉山&賀川だけかもしれぬが、信徒にもキリスト者は少なからずいたことが推測できる。

ちなみに杉山のほうはワタシが卒業した神学校と些かのかかわりがある。

つまり、厳格な意味での「政教分離」などまずあり得ないのではないか?という問い掛けをしてみた次第だ。

………と、FBにフレンド限定投稿したところ、有り難いことに日本基督教団牧師の友人から『「政教分離」とは政治が宗教を利用してはならないということ。宗教者が政治的発言わけても政権批判をしてはならずという訳ではない』と言うコメントが付き、さらに日本基督教団の別の友人の牧師がそのコメントに「イイね!」を付けてくれた。

200%同意する次第。

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『あおりスト?』

(2022.8.19記)

昨夜NBUS(性の聖書的理解ネットワーク)に対抗するネット署名が立ち上がった様子。

https://www.change.org/p/nbus%E3%81%AE-%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%81%8A%E6%89%8B%E4%BC%9D%E3%81%84-%E7%99%BA%E8%A8%80%E3%81%B8%E7%95%B0%E8%AD%B0%E3%82%92%E7%94%B3%E3%81%97%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99-%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%93%E3%83%AB%E5%AE%A3%E8%A8%80-%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97-%E7%BD%B2%E5%90%8D%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99?recruiter=45024280&utm_source=share_petition&utm_medium=facebook&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=aeb0bf32a63e4efbbf38d65b28109dc2&recruited_by_id=19827210-75b3-0130-d429-3c764e04873b&utm_content=fht-34218250-ja-jp%3A6

もしかしたらワタクシ、煽ってしまったか知らん???

(7.30、8.3の投稿のスクショ)




 

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『イクトゥス(ジーザスフィッシュ)』

(2022.8.17記)

昨秋ABEMAにてこんな優れたドキュメンタリーが放映されていたとは………

数日前の再放映に感謝したい。


「現代版・ノアの方舟」なおかつ「贖罪の象徴」(=“船版・キリストイエス”)こそ、あの木造マグロ漁船なのでは?


「イクトゥス(ジーザスフィッシュ)」


「イエス」「キリスト」「神の」「子」「救世主」。各々のギリシャ語単語の頭文字をつなげると「魚」を表すギリシャ語となる。

マグロそのものの如きそのフォルムに注視されたい。

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『信仰告白以上に』

(2022.8.15記)

日本基督教団構成員一人びとりは「信仰告白」以上に「戦責告白」(1967年)を重視して欲しい。

沖縄および沖縄の諸教会への言及を欠く不備不足こそあるが、「戦責告白」は今や軽んじられているとしか思えないので。

日本基督教団によって国家権力・特高警察に売り渡されたセブンスデー・アドベンチストの元信徒としての立場からの切望。

また、「戦責告白」にその名を刻んている当時の教団議長・鈴木正久は、2年後の1969年第五福竜丸保存委員会の代表委員をも務めていたことをここで強調しておく。

第五福竜丸の元・幹部乗組員の親族としての立場から。


「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

https://uccj.org/confession


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『もはや……』

(2022.8.13記)

職制無しの教派の礼拝に2年半以上連続出席し、他の出席者同様に随意な自由感話を時折していると、最早職制有りの教派の礼拝には出席も講壇に立つことも出来ない信仰的メンタリティ。

 受洗教派や教師登録教派には申し訳ないのだが、やむを得まい。違和感を覚えたくないゆえ。

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『アクティビズム』

(2022.8.8記)

セクマイ界隈(わけても、キリスト教業界セクマイ界隈)においては必ずしも評判がよろしくないと思しき、所謂「アクティビズム」。

しかし、『男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師』を誕生せしめた原動力こそ、「アクティビズム」であることを改めて周知させていただきたく。

当時の全国紙記事と、当時の農村伝道神学校学生有志のワタシたちが教団常議員会および教団教師検定委員会に宛てた「要望書」の一部。

特に福音派系のセクマイコミュニティの集いに参加させてもらう際には、上記の件を事あるごとに強調させて頂いている。

所謂「糾弾路線」「大衆団交路線」を嫌う彼らから眉をひそめられることは承知の上で。




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『エゴイスティックかつ偏狭な!』

(2022.8.6記)

「教会」「協会」の標記の違い。

後者を用いるのはほぼほぼキリスト教業界関係のみか。

しかし30数年前、ブランチ施設の名称に「教会」を用いている諸宗教団体に宛てて、『「教会」のワードはキリスト教の特許である。「教会」を用いてはならぬ』という趣旨の署名をあつめていた“正統”を自称する超教派的な動きがあったことも確か。

もちろんワタシはそんなエゴイスティックかつ偏狭な趣旨の署名には断固として応じなかったが。

ワタシは「教会」だろうと「協会」だろうとあまりこだわりがない。

『「教会」のワードはキリスト教の特許だから他宗教は「教会」を用いてはならぬ』などと言っていたら、同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議)にも宗平協(日本宗教者平和協議会)にも関われないであろう。

エゴイスティックかつ偏狭なそんな発想こそ、反人権的・反平和的な気がしてならない。

それこそカルトチックではないだろうか?

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『2015年11月30日発生の練馬区議会本会議における自民党議員による性的マイノリティ差別発言事案を巡って』

(2022.8.3記)

改めて思うが2015年11月渋谷区パートナーシップ条例施行直後に起きた自民党練馬区議による性的少数者差別発言事案の背景にもあのカルト団体の影がチラついてる気が。

あの発言を区議会傍聴席でリアルタイムで生聞きしていたワタシ。

他に傍聴席には、元区議のK.Rさん、同じく元区議のK.Mさん、そしてT新聞のI記者の計4人。

その日の朝、とや区議(現・都議)から『午後の区議会本会議を是非傍聴を』と連絡があり、セクマイ当事者区民の立場で傍聴していた次第。

渋谷区のパートナーシップ条例の成立/施行に前後して全国的に保守系自治体議員によるセクマイ差別発言が相次いだが、都内では練馬区が最初。2,3ヶ月後に杉並区でも発生。

あの差別発言事案発生の数日後、ワタシはくだんの自民党練馬区議とサシで1時間に渡って話し合ったが、向こうは全く譲る姿勢は皆無。

当日の傍聴者の1人、I記者による記事がコレ。くだんの議員、あのカルト団体と同じようなこと言ってるし…


練馬区では熱心な区議による度重なる要求や質問がなされたにもかかわらず、パートナーシップ制度が議論すらされずに来た背景にはやはり………


なお、自民党練馬区議による差別発言事案発生から4ヶ月後に区内有志たちがひらいた集会がコレ。


愛香くんと神学校同窓ゆえ、当然の如く集会開催にあたりワタシがいろいろと動かされるハメに……ww

ちなみに、ワタシからの参加要請に応え、石坂わたる中野区議および石川大我豊島区議(現・参議院議員)も集会に駆け付けてくれて、発言まで頂いた次第。

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『「ナッシュビル宣言」日本語訳に関すること』

(2022.8.1記)

2017年に米国の福音諸派が発した「ナッシュビル宣言」の和訳版を日本の福音諸派の有志がこのタイミングで発表したとなると、昨今話題のあのカルト団体との関係を疑われても致し方あるまい。

逆にそのリスクを背負ってまで発表した気概を知るに付け、我々セクマイ当事者キリスト者は暗澹たる気持ちにもなろうぞ。

この宣言の日本語訳から読み取れ得ることはセクマイフォビアに留まらず、性行為と出産を婚姻の義務としていると思しき点(第1条)や、性分化疾患の人びとの婚姻を禁じていると思しき点(第6条)が存在する。これらの記述は明らかに差別ではなかろうか?

「ナッシュビル宣言」日本語訳版(性の聖書的理解ネットワークによる)

https://www.nbusjapan.com/statement/


PS

超胸糞悪いので、せめてこの写真で溜飲を下げて口直し。

一挙勢揃いしてレインボーラムネ

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『自負(?)』

(2022.7.30記)

『男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師』がセブンスデー・アドベンチスト系列の学校法人の中・高の卒業生であり、なお且つ『両性両性愛者であることを公言した日本初の牧師』がセブンスデー・アドベンチスト元信徒である事実は、同派が徹底してセクマイフォビアな福音諸派とは一線を画す存在であることに少なからず寄与していることであろう…と常々自負(?)している。

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『多様な性自認・性的指向の人々って……

(2022.7.29記)

「多様な性自認・性指向の人々」って、「ポリジェンダー・ポリセクシュアルな人々」ってことだよね?

性的マイノリティ当事者/LGBT当事者…等の人々の総称とするのは不適切では?

豊島区民のセクマイ当事者の皆さんはどう考えてるのだか?

聞いた話しでは北区も豊島区と同じらしい。

「多様な性自認・性的指向の人々」って……両性両性愛者のレナはそれに該当するんだろうけれど……



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『男性同性愛者を公言した日本初の牧師を誕生せしめた一員として』

 (2022.7.29)

 2022.7.23付けの「セクシュアルマイノリティと宗教を考える会」による『声明「楊尚眞氏の文書への批判」』について言わせてもらえば、【1998年日本で初めて男性同性愛者であることを公言した牧師】の誕生に至らしめた一員としては、当たり前のことをしたまでである。

ところで、ワタシの提言により、「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議(「東京同宗連」)では、神道政治連盟/弘前学院大学楊尚眞氏文書について「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(「全国同宗連」)への何らかの働き掛けに関する協議を行なうことが正式に決められた。

ワタシが上記と同趣旨を提言した日本キリスト教団部落解放センターからは、まだ何らの返事がないものの、もちろん期待には事欠かないと言えよう。

【以下追記(2022.8.1)】

弘前学院大学楊教授文書の件で日本基督教団部落解放センター主事より連絡が来、『以前(7月初旬)の問合せの後、全国同宗連の会議で情報共有をした』と前向きな様子。嬉しい。



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『弘前学院大学学長宛のメール』

(2022.7.28記)

当会名義による23日付けの『声明「楊尚眞氏の文書への批判」』の“紙版”が弘前学院大学、および同大学気付・楊尚眞氏のもとに届いた頃合いを見計らい、レナ個人の立場で今朝8:30付けにて同大学学長に宛に以下の文面をメールにて送信しました。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

弘前学院大学学長
藁科  勝之 様

✝主の平和

はじめまして。

日本基督教団教師の麗梨ReNaと申します。
性的マイノリティ当事者であり、教団登録名は戸籍名になっておりますが、現在は主に上記の名前で活動しております。


さて、神道政治連盟機関誌「意」第215号(2021年10月)における貴大学教官・楊尚眞様のご寄稿『同性愛と同性婚の真相を知る』、および本年6月13日の神道政治連盟国会議員懇談会にて配付されたという冊子「夫婦別姓  同性婚  LGBT  家族と社会に関わる諸問題」に掲載された楊様のご講演録を読ませて頂きました。

これらの文章および講演録では、明らかに宗教における性的少数者差別が明らかになっておるゆえ、私はこれらを断固として認めるわけにはいきません。そしてこれらを批判せざるをえません。

また、藁科様が本年7月1日付けにて記された『学生・教職員の皆様へ』という文章も読ませて頂きました。藁科様には上記の『学生・教職員の皆様へ』なる文章について私たちの思いをお伝えしたく、以下述べさせていただきたく思います。

この『学生・教職員の皆様へ』という文面からは、大変に申し訳ございませんが、「自分ごと」としての御意識が欠けておられるような気がしてなりません。

貴大学の教官しかも教授による性的少数者への差別文章ならびに差別講演である以上、この類の文章をお出しになるのであれば、最高責任者たる学長としてのお立場ならびにご責任に則ったものであって欲しいと考えました。

わけても楊様は、『性的少数者のライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題だから』(講演録冊子第29頁上段)とのくだりは、楊様の極めて一方的な思い込みであり、性的少数者の尊厳を踏みにじるものと思われます。

また、特に私が断固として許し難く思うのは、『LGBTの自殺リスクについては、自殺率が高いというのは、社会的な差別があることが原因かというとそうではなく、LGBTは自分自身が様々な葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなり自殺につながることが考えられます』(講演録冊子第25頁下段~第26頁上段)というくだりです。

社会に性的マイノリティ差別がいまだに根付いているゆえ自らの生命を断つ多くの人々の苦しみに微塵も共感することなく、逆にそうした人々の命の尊厳を楊様ご自身が踏みにじっておられることを楊様ご自身がお気付きになっていらっしゃらないような気がしてなりません。


藁科様は7月1日付けの文章にて、『本学は、 建学の精神 「畏神愛人」 において 「自己と異なる一人ひとりの人格と個性と立場を尊重し、 受容すること」として、多様性の尊重を謳い、 また、 本学の教育方針については 「弘前学院大学の教育方針」において、「すべての学生、教員、 職員は相互の人格を尊重し、 建学以来の伝統を重んじつつ、おのおのの立場において時代の要請に応える」ことを方針としております』と述べておられます。


であるならば、問題の文面や講演での問題発言をおかした楊様に対する批判や非難なりを明確にするセンテンスが必要だったかと思われます。

何故ならば、貴大学の学生・教職員の中にも性的少数者は決して存在しないとは限らないからです。

仮に学内礼拝の席上にて、楊様が司式や説教をされたりする場面に直面した場合、どのようなお気持ちになられるかを藁科様はご想像出来ましょうか?

性的マイノリティ当事者も存在する私たち「セクシュアルマイノリティと宗教を考える会」ゆえ、貴大学の最高責任者たる藁科様に一言申し上げておきたいと考えた次第でありました。


主よりの大きな御導きと御恵みが藁科様そして楊様ならびに学校法人弘前学院大学で学んでおられる全ての皆様および全職員の皆様の上に注がれますように。


以上

2022年7月28日



     

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『宗教と政治と…』

(2022.7.27記)

「宗教と政治」について、その関係の是非も含めて色々議論されているご時勢なので、新社会党支持者の1人として以下明言しておく。

新社会党が(他の如何なる政党政派以上に)流れを汲んでいる旧・日本社会党の結党呼び掛け人には、日本基督教団牧師が二人含まれていた歴史的事実。

(基督教信徒やシンパ・共感者・支持者となるとさらに多数いたであろう)

もちろん、キリスト者たちが確りと党内のイニシァティブを取れていればあの時の“大変節”は無かったかも知れない……と思しきことも含めて。

とりわけ、旧・日本社会党の党員/支持者/シンパだった日本基督教団構成員たちが確りと「日本基督教団戦争責任告白」(1967年)を金科玉条の如く踏まえていれば、旧・日本社会党の“大変節”は無かったかも知れぬ。新社会党/社民党の分裂も無かったも知れぬ。

それとも…彼らが確りと「教団戦責告白」を奉じていたとしても、“党内多数派勢力”に抗い切れなかったか……

或いはそこで“党内多数派勢力”は切り札的に『政教分離』を打ち出して来たのだろうか…?

親鸞研究家としての顔も持つ小森龍邦氏を初めとする複数の国会議員(当時)が党から除籍された史実を思えば、そうしたことにまでに推測が及んでしまう。ついつい。

事実誤認があったらぜひとも御教示願いたいところ。

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『礼拝交響曲』

(2022.7.25記)

昨夜から今早朝にかけてNHKBSプレミアムでオンエアされたブロムシュテット特集のトップを飾ったのが、映像付きのこの音源だった。

昨年のザルツブルク音楽祭におけるウィーンフィルとのオネゲル交響曲第3番。普通は『典礼風』と訳される標題だがNHKではなぜか『礼拝』と標記。

しかもこの曲は第二次大戦直後につくられた平和への賛歌。『怒りの日』『深き淵より』『我らに平和を』の3部構成の30分。構成も時間も一般的な礼拝説教に近い気もする。

親の代からバリバリのセブンスデー・アドベンチスト、ブロムシュテットにとっては相応しい曲であり、尚かつNHKによる小粋な標題訳か。

日本基督教団構成員とすれば1967年の『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』(教団戦争責任告白)を思い起こしたいところ。

PS

リンク先のオネゲルの写真、「戦責告白」を起草したO牧師を彷彿とさせる風貌や雰囲気かと。


https://youtu.be/QVfcYXArtfY


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『総じて強者に靡き易い傾向がある我々日本基督教団構成員は、……』

(2022.7.22記)

正統的基督教を自称しつつ戦争協力を果たし、少数派の同胞(ホーリネス諸派およびセブンスデー・アドベンチスト)を国家権力に差し出す背信行為をおかしながらも、「戦争責任告白」を世に発するまで実に22年を要してしまったことを各自が肝に命じるべき。

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『関係妄想・被害妄想』

(2022.7.20記)

カルト問題に携わってきた或る“社会派”の牧師(日本基督教団)が『セブンスデー・アドベンチストはカルトだ!』と断じていたのを聞いて驚いた!

おいおい!もしセブンスデーがカルトだったら、農村伝道神学校はレナの入学はおろか受験すら認めないだろうし、そもそも「日本基督教団戦争責任告白」を起草した牧師・大塩清之助さんがレナを農伝に推薦してくれるハズがない。

開戦直前に日本国政府の圧力に屈し、日本国政府の肝いりで発足/成立した新興宗教日本基督教団は、セブンスデーアドベンチストを国家権力に売り渡してしまった過去の大罪があるゆえ、セブンスデーに対する罪意識とコンプレックスが複雑に入り混じり、屈折した形になってもたらされた偏見をその牧師は持っているのであろうか?

彼は、カルトにはまってしまった生真面目で純真で善良な多くの若者たちの脱会支援活動に献身してきたセブンスデー・アドベンチスト牧師・和賀真也氏の存在を知らないとでもいうのだろうか?

そういう牧師から見たら、レナはセブンスデーアドベンチストからの回し者/蝶者/スパイ/工作員の類と見做されているのだろうか……などと、ついつい関係妄想/被害妄想してしまうワタシがいる。

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『Xジェンダー/ノンバイナリーetcの語る神』

(2022.7.19記)

神学校学生時代の1995年、一対一で行なう神学読書の授業にて指導教官の東海林勤教師が選んでくれたのが、モルトマン=ヴェンデルとその連れ合いのモルトマンによる共著の新刊書だったコレであった。

今となってはヤハリ『Xジェンダー/ノンバイナリーetc……の語る神』を書ける力量ある当事者の登場をついつい期待してしまう。

なお、東海林勤教師のお連れ合いが日本キリスト教婦人矯風会や、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を主催した「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)で大活躍した、ラディカルフェミニスト東海林路得子さんであることも、特筆しておきたいところ。

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『マエストロ・ブロムシュテットによる伝説的名演』

(2022.7.18記)

10年以上所在不明だったが、このたび漸く見つけ出せた『伝説的名演』のエアチェック・テープ。

しかもFM生放送による30年前のリアルタイム録音。

ありがたいことにテープの経年劣化による音質低下も殆どみられない……

とはいえ早めにMD&mp3におとしておくことは必須だな。

当時のスピーカー(テクニクス  SB-7)に耳を傾けながらクエーカー(身震いする者)になったワタシ。

しかも、この数日前、セブンスデー・アドベンチスト東京中央教会におけるマエストロの講演『正統的な賛美歌とは?』を最前列ほぼド真ん中の席で拝聴させて頂いていたワタシであった。



 

1992年11月7日(土)午後。セブンスデー・アドベンチスト東京中央教会にて。

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『事実だけを記す』

(2022.7.17記)

日本基督教団部落解放センターとマイノリティ宣教センターと農村伝道神学校の三者で推し進めている「アファーマティングアクション」だったか「アファーマティングプログラム」と銘打った活動がある。

これは主に性的マイノリティ当事者の人権遵守を主題に掲げ、主にセクシュアルマジョリティへの啓発を志向するプログラムと聞いている。

ところで、日本基督教団部落解放センターおよび「全国同宗連」にとってその存在意義すら問われる大きな事案、つまり2016年に起きた全国同宗連啓発冊子副題問題は上記のアクションと無関係では断じてあり得まい。

ゆえに、この全国同宗連啓発冊子副題問題を巡る東京教区部落解放セクションの問題《つまり、東京教区部落解放セクションが性的マイノリティ当事者牧師たるレナ【しかもレナは東京教区部落解放セクション代表経験者なおかつ「東京同宗連」事務局長経験者である!〔怒!〕】に対して上記啓発冊子副題問題についての一切を告げなかったこと》を放置し、それを「無かったこと」あるいは「問題無きこと」「無視すべきこと」とみなしているとすれば、これはレナに対する悪意どころか、レナの人権を踏みにじるものとは言えないだろうか?

ましてや三者の一角・農村伝道神学校の現・校長は、24年前レナも含めた当時の農村伝道神学校学生有志による教団上層部への異議申し立て/抗議活動により、同校が輩出した「男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師」であるのだから。

以上、冒頭に記載した三者による「アファーマティングアクション」もしくは「アファーマティングプログラム」におけるチェアパーソン的存在(もしくはキーパーソン的存在)にも見え得る農村伝道神学校校長には、是非とも強調しておきたい事柄である。

それと以上の事案は、「東京同宗連」にとっても無関係な事案に非ずと言える。何故ならば、現・「東京同宗連」議長教団(事務局)は日本基督教団(東京教区・西東京教区)であり、しかも議長は東京教区部落解放セクションから送られているのだから。

最後に誤解の無いように記しておくが、「東京同宗連」は「全国同宗連」の傘下組織では無い。至極わかりやいたとえを用いれば、「教団/宗派宗門」と「教区」の如き関係では無い。

「同宗連」というワードや加盟教団/加盟宗派宗門こそかぶってこそいるが、「東京同宗連」と「全国同宗連」は別団体である。敢えて言えば、連帯共闘団体である。

それも、各々の年次総会のおりにお互いに同士が来賓参加を要請し合う程度の関係である。

なお、繰り返し書いていることだが……

1981年に「全国同宗連」が浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・天理教・立正佼成会・日本基督教団の呼び掛け(但し佼成会はオブザーバー的ポジション)によって成立/結成をみたわけであるが、そのきっかけをつくったのが、1979年米国プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議(WCRP-3)における日本基督教団・東海林勤牧師(1932~2020。同会議には日本キリスト教協議会総幹事の立場で参加)による積極的発言である。【ちなみに「東京同宗連」の成立/結成は「全国同宗連」のそれに遅れること13年の1994年である】

そして、レナおよび農村伝道神学校の現・校長は、いずれも神学生時代にこの東海林教師のもとで「性差別問題講座」を(同時に)履修/受講したのであった。

時あたかも、レナが日本基督教団部落解放センターに約ひと月の夏季実習に赴き、そしてレナが「東京同宗連」に関わりはじめた1996年である。


超余談かつ超蛇足になるが、結党から半世紀を越えたばかりの日本社会党が、(結党当時の根本精神をそのまま受け継いだ)新社会党と(世論等に屈して変節を遂げてしまった)社民党に分裂したのも、この1996年初頭であることに是非とも注目されたい。

しかも(これも何度も書いているが)、終戦直後、日本社会党結党にあたってその呼び掛け人には二人の日本基督教団牧師(杉山元治郎と賀川豊彦)が加わっており、わけても前者は我が農村伝道神学校と些かの関わりがあった者であることを、改めて記しておく。


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『思い込み?』

(2022.7.16記)

ワタシは農村伝道神学校を2度受験した。そう、1年浪人したのだ。

1年目に落とされた理由は、当時ワタシが籍を置いていたセブンスデー・アドベンチストという“特異な”“ユニーク過ぎる”“際立った”教義・教理・戒律(つまりは、ユダヤ教同様の土曜礼拝や、モーセの十戒の徹底遵守、そして厳しすぎる食物規定、徹底した禁酒禁煙など)を有する教派ゆえ、当時のワタシのキャラクターや気質は同校の校風・気質や雰囲気には馴染み得ず、大きなショックを受けてキリスト教信仰自体を廃棄しかねない……という配慮だった旨後年某教師から聞かされた。

しかしそれは表向きの理由であり、実は単に入試の出来がヨロシクなかったのかも知れないし、あるいは、太平洋戦時下の日本基督教団はセブンスデー・アドベンチストを国家権力に売り渡し、十字架に付けてしまったことに対する罪意識ないしコンプレックスが複雑に絡み合っての不合格であったのかも知れない。寧ろそちらのほうが現実的とも言えよう。

が、今思えば1回目の受験で落とされたことは、逆に幸いだったかも知れない。

何故ならば………

もし1年目の受験でパスしてしまっていたとしたら、後年「男性同性愛者であることを公言した日本で最初の牧師」となる学生と同学年になっていた可能性が高いからだ。

ワタシは性指向とジェンダーアイデンティティを隠し、1989年セブンスデー・アドベンチストの教会で「男性異性愛者として」受洗した。

受洗時同様、真のジェンダー・セクシュアリティを隠し、(学校関係者の誰一人にも真のジェンダー・セクシュアリティを明かすことなく)入学を果たしてしまっていたとしたら、『4年制大学卒は第2学年編入を許可し得る』という校則に従い、既に第1学年生として1年間の学びをすませていた彼と同じ第2学年になるところでもあった。

もし仮に1回目の神学校受験でパスしてしまっていたとすれば、既に入学1年目にして校内でゲイをカムアウトしていた彼同様、ワタシ自身もカムアウトをしなければならぬ思いに至るであろうことは(ワタシのキャラクター的に)明々白々だ。

彼の卒業時、教団上層部から就労差別発言がなされたことで教団内外から批判・非難が激化し、学生有志も教師会もこぞって教団上層部に圧を掛けたことが幸いしたのか、彼は無事牧師資格を得ることが出来たのだが、「セクシュアルマイノリティの中の大多数派」たる男性同性愛者の彼ですら、こうした関門をくぐる憂き目にあわされたわけであるのだから、「セクシュアルマイノリティの中の超少数派」たる両性両性愛者の自分にはどんな大関門が待ち受けてるか……

想像するだけで身震いすら起きる。

彼は牧師検定にパスするもワタシは落とされるだけであればまだしも、彼もワタシも二人とも落とされたとしたら、まず以て彼に迷惑が掛かり、それだけではなく、学校の評判も落としかねない。そしてカムアウトできないでいた多くのキリスト者のセクマイ当事者にも迷惑が及びかねない……

そう思えばこそ、「1年目の神学校受験にパス出来なかったのは神のご計画のゆえ」と考えたいところだ。

ま、もちろん、これ即ち単なるワタシのまことに勝手な思い込みに過ぎないコトなのかも知れないのだが……w

翌年の2回目の受験で晴れて2年次編入学が認められたワケであるが、結局、在学中にイレギュラーな性指向(だけ)をカムした相手は彼ひとりだけだったワケだが……

ただ、彼にはカムせずにはおれなかったことは確かだ。

入学を果たした後、実家からの通学片道2時間以上ゆえ朝が弱い上に通学時のラッシュアワーに超絶なストレスを覚えるワタシは寮生活を余儀なくされたワケだが、トイレはともかく風呂問題では大いに苦労した。

誰も入ってこない時間帯を狙い、脱衣所でもバスルームの中でも常にビクビク緊張を強いられていたものだ……

1回目の受験で落とされた年度は「聴講生」として「農場実習」の履修を許可されたことは大きかった。

後に「男性同性愛者を公言した日本初の牧師」となる彼がセブンスデー・アドベンチスト系列の学校のOBであることや、彼の同級生にセブンスデー・アドベンチスト系列の看護大学のOG、そして妹がセブンスデー・アドベンチスト信徒である学生もいたため、彼ら3人各々とワタシとの共通の友人知人も決して少なくなかったからである。

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『スケープゴート』

(2022.7.14記)

聖書の歴史始まって以降、悪事をしでかした訳でもないのに「罪人」のレッテルを数千年来貼られ続けてきている性的少数者。

古来より日本「本土」によって支配され続け、軽んじられ続け、“捨て石”にされ続けてきている沖縄。

太平洋戦時下、日本政府との関係が濃厚濃密な新興宗教・日本基督教団によって国家権力に売り渡されたセブンスデー・アドベンチスト。

「男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師」が沖縄出身者であり、なおかつミドルティーン~ハイティーンの青年期にセブンスデー・アドベンチスト系列の全寮制の学校法人を学び舎としていたこと。

そしてくだんの当人を牧師として世に輩出せしめることに少なからず関与/加担した彼の神学校の1年後輩(ただし年齢自体はかなり年長)が元セブンスデー・アドベンチスト信徒であり、なおかつ『性的マイノリティの中の少数者』とも云うべき両性両性愛者であるゆえ、セクマイフレンドリーに傾きつつあるキリスト教業界内においてさえ、なお差別/偏見に苛まれ続けていること。

これらの紛れも無き事実は奇遇と言えば奇遇と言えよう。

そう、パスワードは「スケープゴート」と言えまいか。


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『続々・日本基督教団制定「部落解放の祈りの日」にあたって』

(2022.7.12記)

日本基督教団部落解放センターの発足は「全国同宗連」(正式名称・「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議)と同じ1981年のはず。

我が農村伝道神学校における「性差別問題講座」「新約聖書釈義」「神学読書」等の恩師・東海林勤牧師(1932~2020)が、米国プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議(WCRP-Ⅲ)にて日本に存在する部落差別問題に言及/問題提起したのは、1979年のこと。

東海林牧師の問題提起は、「全国同宗連」発足はもちろん、日本基督教団部落解放センターの発足にも影響を与えたことは誰が見ても間違い無いことであろう。


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『続・日本基督教団制定「部落解放の祈りの日」にあたって』

(2022.7.12記)

つまりは……

「全国同宗連」啓発冊子副題問題で東京教区千葉支区所属の性的マイノリティ当事者牧師からの指摘を受け、「全国同宗連」に対して疑義を呈していた日本基督教団東京教区の部落解放セクションは、かつての同セクションのメンバーかつセクションの代表者の経験のみならず「東京同宗連」事務局長の経験もある性的少数者当事者(両性両性愛者)たるレナを、あたかも「存在しない者」の如く、排除/差別していた…という、まことに何と評したらよいか適切な言葉選びに迷うほど…のお話。

念の為記しておくが、この件に関し、レナに対する東京教区の部落解放セクションからの謝罪めいたものは一切合切皆無である。

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『「日本基督教団・部落解放の祈りの日」だからこそ』

(2022.7.10記)


「日本基督教団・部落解放の祈り日」だからこそ、沖縄戦の悲惨さを描いた1996年の反戦映画『GAMA 月桃の花』練馬区上映会を担った区立保育園保育士の人を指して“セクトメンバー呼ばわり”し、メーリングリスト(練馬の市民運動家が主たるメンバー)への加入を認めなかった或るグループに対し、“あなたがたのほうがよっぽどセクト性が強いと思うぞ!”と言わせてもらいたい。

その区立保育園保育士の人は、当時の日本基督教団大泉教会の横田勲さんと横田幸子さんの両牧師〈もちろん両者ともに沖縄米軍基地問題に熱心に取組んでいた〉から信頼感を持たれていたからこそ(両牧師は)『GAMA月桃の花』の映画チケットを預かり、ワタシに鑑賞を薦めてくれたのだ。お陰でワタシは大いに啓発を受け、1997年に沖縄島が農村伝道神学校の修養会先になった際、映画の鑑賞によって受けた啓発を役立てることが出来たと信じている。

従って、敬愛してやまない横田勲牧師&横田幸子牧師もまた、かのメーリングリストの中心的グループによって侮辱された感じがすることを否めないのである。


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『日本基督教団制定「部落解放の祈りの日」にあたって』

(2022.7.10記)

日本基督教団が制定した『部落解放の祈りの日』。

毎年7月の第2日曜。

今年はまさに本日7月10日ゆえにあえて記す。

日本基督教団東京教区部落解放セクションは、性的マイノリティ当事者たるレナを差別しないでほしい。

添付の如く、「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議の機関紙『東京同宗連』第20号(2004年3月29日発行)第7頁において、レナが教団登録名で記したエッセイの中で、自身のイレギュラーなセクシュアルオリエンテーション(のみ)をカムアウトしているのであるから、東京教区部落解放セクションのメンバーの誰一人もがレナの性的指向を知らないなどということはあり得ないことである。

にもかかわらず、2016年に東京教区千葉支区所属の性的マイノリティ当事者の牧師によって指摘されたこと【つまり、『全国同宗連』の啓発冊子の副題が、あたかも性的少数者にこそ問題があるやに読み取れ得る「セクシャルマイノリティ問題」という表記であったこと】について、東京教区北支区所属の性的少数者当事者牧師たるレナには一言たりとも連絡/報告が無かったのであった。

このことは、東京教区部落解放セクションはレナを性的マイノリティ当事者牧師とは認めないことに等しいこととは言えないであろうか?

しかも…である。レナは1996年~2010年までは東京教区部落解放セクションのメンバーだったのみならず、2004年から2006年までは東京教区部落解放セクションの代表者を務めていたのである。
《2006年に『東京同宗連』事務局長拝命により、東京教区部落解放セクションの代表者は辞したものの、同セクションには2010年までは在籍していた》

上記の諸事実を鑑みるに、「『全国同宗連』啓発冊子副題タイトル問題」に関して、レナの存在は東京教区部落解放セクションによって軽んじられたと言わざるを得ない。

性的マイノリティ当事者であること自体をも(東京教区部落解放セクションには)認識されていないのでは?…という疑念を持たざるを得ないのである。

わけても残念なのは、問題発覚した時期に『東京同宗連』の常任委員会や各委員会・研修会等にてレナと顔を合わせていた東京教区部落解放セクションのメンバーもいたことである。

当人からすら「実はこういうことがあったのだが……」という報告/連絡/相談すら、全く皆無であったことだ。

屈辱以外の何ものでもない。

東京教区部落解放セクションのメンバーたちには、「セクシュアルマイノリティと宗教を考える会」の「荒井津守より」の『差別からの解放』を是非とも御一読願いたい。

PS
ワタシ、レナは東京教区部落解放セクションを2010年に退いていたゆえに、日本基督教団部落解放センターから東京教区部落解放セクションのメンバーたちに配布された『全国同宗連』啓発冊子に「セクシュアルマイノリティ問題」との副題が付いていたことを知る由がない。
そもそも、くだんの副題が付けられていた啓発冊子の存在すら知らなかったのであるから。



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『何故かボツにされたクェスチョン』

(2022.7.9記)

昨夜このトークショーにオンライン参加。

チャットを使って登壇者のセクマイ当事者ふたりに質問を発したのだが、ホスト(司会)は何故かワタシの質問を採用してくれなかった。

結構重要な質問かと思うのだが……




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『戦後77年目の7月セブンスデー』


(2022.7.7記)

戦後77年の今年の7月7日の朝(あした)は、セブンスデー・アドベンチスト特任牧師のブロムシュテットが世界最古のメジャーオケとされるゲヴァントハウス管弦楽団をドライブしたベートーヴェン交響曲第7番イ長調で。

太平洋戦時下、官製新興宗教日本基督教団への合流を拒絶したがゆえに国家権力や教団主流派から目を付けられ、後に迫害/弾圧/一斉検挙/投獄(獄死者あり)/解散命令…等の憂き目に遭ったセブンスデーアドベンチスト。

先月25日土曜日午後に転倒して入院したブロムシュテット(7.11に満95歳を迎える)の指揮台への復帰もせつに願いつつ。







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『キリスト党!?』

(2022.7.6記)


ワタシが20年来支持している新社会党こそが旧・日本社会党の根本精神を他の如何なる政党にも増して受け継いでいる政党である旨確信および自信をもって表明すると同時に、旧・日本社会党の結党呼びかけ人に加わった2人の日本基督教団牧師・杉山元治郎と賀川豊彦もまた、戦時下においてホーリネス諸派およびセブンスデーアドベンチストを国家権力に売り渡した者たちと同じ穴のムジナであることを、今一度自省および自戒を以て振り返る。



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『「“同宗連”人」たる性的マイノリティ牧師としての責務』

(2022.7.6記)


ワタシが加入している、主に首都圏の各人権団体の連合体の同事務局からメーリングリストで廻ってきた添付のネット署名に関して、同事務局に対し以下のお知らせをさせてもらった。

 ちなみに、以前もココに記したのだが、1979年米国プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議において、全国同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議)の結成のキッカケとなる積極的な意見を述べたのが、我が恩師の一人東海林勤牧師(当時は日本キリスト教協議会総幹事でもありました)であった。
 ワタシの神学生時代、東海林教師からは「性差別問題講座」を含む複数のカリキュラムを履修/受講させてもらった。


以下引用

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東京同宗連メンバーで、両性両性愛者つまり男女両性の性的アイデンティティかつバイセクシュアルの日本キリスト教団牧師、レナです。

もちろんワタシも友人から廻ってきたこのネット署名に賛同しました。

日本キリスト教団にはご存知の通り部落解放センターがあります。また、「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(全国同宗連)には「神道政治連盟」の母体と云われる神社本庁も加盟しているので、過日教団部落解放センターには、全国同宗連に向けて神社本庁に対する何らかのアクションをするよう要請しておきました。検討する旨返事を得ています。

なお、われわれ東京同宗連にも東京都神社庁が加盟していますが、そこは神社本庁の傘下組織です。

もちろん東京同宗連議長(ワタシの30数年来の友人)に対しても、東京同宗連として全国同宗連に対して何らかの働き掛けが必要不可欠である旨伝え、組織内検討の確約を得ています。

神道政治連盟の問題冊子に記された講演録の講師がキリスト教系学校法人の教官であり、神学者・牧師でもある事実を踏まえれば、性的マイノリティ当事者牧師の1人としては至極当然の行動です。

以上、お知らせまで。

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以上、引用




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『続・神道政治連盟の冊子に関する件で』

(2022.7.5記)

例の冊子がキリスト教系学校法人の大学教授・神学者・牧師による講演録であるならば、これはもう性的マイノリティのキリスト者は何がしかのアクションを起こさねばならないだろう。

わけても当事者牧師たちを中心に、アピール性の強い行動に出て然るべきだ。

牽引役を担うべきは、例の大学教授の講演録における主たるターゲットとなっている同性愛者たちであろう。

来たる8日には都内のキリスト教書店において性的マイノリティ当事者たちが登壇するトークイベント(オンライン併用)が開催される。

フロア参加者やオンライン参加者に対して、その方向性をキチンと示すチャンスとなろう。

還暦を過ぎた老体の両性両性愛者として、そして24年前『男性同性愛者を公言した日本初の牧師』の誕生に至らしめた者たちの1人としての、切なる願いである。


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『神道政治連盟の冊子に関する件で』

(2022.7.5記)

2016年日本基督教団東京教区部落解放のセクションは、その数年前に「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(以下、全国同宗連と略す)が発行した啓発冊子に「セクシャルマイノリティ問題」という副題が付けられていたことに関して、『この副題では、セクシュアルマイノリティ当事者に問題があるかのようである』として然るべき対応を求める封書を送った。

本来的には全国同宗連に対する日本基督教団における窓口は日本基督教団部落解放センターなのであるが、東京教区部落解放セクションは「頭越え」をして直接全国同宗連に申入書を送ってしまった。そしてそのこと自体については、もちろん全国同宗連から日本基督教団部落解放センターと日本基督教団東京教区部落セクションに対して異議申し立てがなされ、部落解放センターおよび東京教区部落解放セクションは全国同宗連にキチンとした謝罪がなされたはずだ。

そして、全国同宗連/日本基督教団部落解放センター/日本基督教団東京教区部落解放セクションの3者に渡る話し合いが1年ほど続けられた挙げ句、全国同宗連として、問われた事柄を重く受け止め、今後に生かしてゆくことを約束する文書を日本基督教団部落解放センターに送付することで一応の解決をみた。既に数年前に発行してしまった啓発冊子の回収については見送ることになった。

以上が、「セクシャルマイノリティ問題」という副題をつけられた全国同宗連発行の啓発冊子を巡る大まかな概要である。

【ちなみにワタシは1996年から続けていた東京教区部落解放セクションのメンバーは2010年を以て退いていた関係で、事案の一部始終の概要を知るに至ったのは、全国同宗連から日本基督教団部落解放センターに議論終結文書が送付された後であった。それまでは事案の発端すら知らされずにいた。そればかりか、「セクシャルマイノリティ問題」という副題が付いた全国同宗連発行の啓発冊子の存在すら知らされずにいた。従ってこの事案について、ワタシことレナは全くコミットしていない】

さて、今回勃発した、「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合において配布された神道政治連盟啓発冊子『同性愛と同性婚の真相を知る』(弘前学院大学の楊尚眞氏による講演録)の件だが、上記の経緯/事情を踏まえれば、日本基督教団東京教区部落解放セクションから日本基督教団部落解放センターを通じ、全国同宗連に対して、全国同宗連加盟教団のひとつである神社本庁(「神道政治連盟」の母体あるいは関係団体とされている)へ何がしかのアクション起こすことを促して然るべきかと思うのだが、如何であろうか?

例の冊子には

「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です」
「(同性愛などは)回復治療や宗教的信仰によって変化する」「世界には同性愛や性同一性障害から脱した多くの元LGBTの人たちがいる」
「LGBTの自殺率が高いのは、社会の差別が原因ではなく、LGBTの人自身の悩みが自殺につながる」
「性的少数者のライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題だから」

などという、性的マイノリティ当事者への偏見と差別心に満ち満ちた記述が羅列されているのであるから。

ましてや弘前学院大学はキリスト教系の学校法人であり、楊尚眞氏は牧師でもあるのだ。


【補足】
東京教区部落解放セクションに対して全国同宗連啓発冊子の副題について疑義を発したのは、東京教区千葉支区に属する性的マイノリティ当事者の牧師であった。

東京教区部落解放セクションのメンバーひとりひとりは、その当事者牧師からの疑義が発せらるまでは啓発冊子の副題の問題点を見過ごしていたのであった。

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『青空の小径/夏が来た!』

(2022.7.4記)

中田喜直作品『青空の小径』
穂口雄右作品『夏が来た!』

ミドルティーン~ハイティーン時代頃のワタシのセルフイメージは、クラシック邦楽作品の前者とポピュラー邦楽作品の後者の雰囲気にビッタリ重なる。
キャラ&ルッスク共に。

撫で肩・顔立ち・両腕&手首の細さ…etc 、如何にも両性的なルックスに注目されたい。

これらの写真の頃はマジ、めっちゃモテてましたよ、ハイ。

トリミング・色味やコントラスト・明るさ、そして目隠し以外は無修正です、念の為。(信じてくれなそうな人も多々いそうなので、しつこいぐらいの断り書き必須)


『青空の小径』

『夏が来た!』





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『最悪な手合い』

(2022.7.2記)

差別反対を叫びつつ、その実、自分たちの利害関係本位の「はかり」で以て「重んじる人物・事案か/軽んじる人物・事案か」を区別する手合いが1番タチ悪い。差別そのものと言えよう。


日本のキリスト教業界でも然り、練馬の市民運動体/労組関係でも然り。


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『気掛かりなこと』

(2022.6.30記)


25日土曜日午後に転倒して入院した、現役バリバリの世界的名指揮者でなお且つセブンスデーアドベンチスト特任牧師でもあるヘルベルト・ブロムシュテット(NHK交響楽団桂冠名誉指揮者)、続報が入って来ないのだが、大丈夫だろうか?

快方に向かってるとも聞いているが、来たる11日には95歳になるだけに、徹底した菜食主義で健康に留意しているとはいえ気掛かりだ。

主の癒やしの御手が臨まれますように。

写真は1992年11月、セブンスデーアドベンチスト東京中央教会会堂にて講演するヘルベルト・ブロムシュテット。左は通訳の牧師。

講演内容は、正統的な賛美歌とはどのような賛美歌かという、如何にもクラシック音楽家兼牧師らしいものであり、ゴスペルフォークやゴスペルロックを異端とみなしていた。これもブロムシュテットらしい。
 つまりは、少なくとも日本基督教団編の『賛美歌』(1954年版)の第一編であれば正統的な賛美歌ということだろう。
 当時のセブンスデーアドベンチストの各教会も日本基督教団賛美歌1954年版を用いていた。

撮影は、最前列のほぼほぼ中央席を陣取ったワタシ。





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『日本基督“凶弾”のプレート』


(2022.6.28記)


戦後丸々77年を迎えるこの夏、このプレートを提げてセブンスデー・アドベンチストの教会の土曜礼拝に出席し、

『ワタシは1989年に天沼教会で受洗した、元セブンスデーアドベンチスト信徒の日本基督教団牧師です。性的マイノリティでもあり、それゆえ1996年に日本基督教団に転籍した者ですが、私たち日本基督教団は戦時下においてセブンスデーアドベンチストの人びとを十字架に付けること同様の罪をおかしました。そればかりか、日本基督教団は信徒たちからの浄財(=献金)によって陸海軍に「日本基督教団号」なる軍用航空機合計4機を奉献してしまいました。これは戦争協力などという生易しいものではなく、明らかな戦争参加です。日本基督教団構成員の端くれとして、先達らがおかした種々多々なる罪過に対する心からの懺悔のために、このプレートを提げて安息日礼拝に出席させて頂きたく願い上げます』

と挨拶がてら、会堂内に入らせてもらいたいと考えているのだが、特に日本基督教団構成員の親しい友人たちからの意見をもとめている現在である。


《追記》(2022.6.30記)
同い年かつ神学校の一年後輩からの進言も踏まえ、熟慮の結果、プラカードを胸に掲げて安息日礼拝(土曜礼拝)に出席するよりも、「日本基督教団(凶弾)号」の写真をスマホに収めるにとどめ、女性装でセブンスデーアドベンチストの教会を訪れ、空気感をよく読みながら牧師や周囲の人びとに話しかけたり、身分立場を証したうえで互いにある程度の緊張感がほぐれてきたところでスマホの写真を見せたりしながら、【戦時下において日本基督教団がセブンスデーアドベンチストに対しておかした罪過についての】謝罪の思いを述べ、それを受け入れてくれた時点でセクマイの話題を振る……という流れが、1番自然かな、やっぱり。

とすると、女性装にしても派手目なのはやめて、地味で控えめにしたほうがベターとも思うケド、そうすると余計に悪目立ちしそうかもしれぬので、そんなところはよく考えなければ。

まあ、大きめの規模の教会ならば会堂や出席者の雰囲気は30年前とさほど変わってないと覚しい気もするが、30年の年月はかならずしも短いとも言えないし…。




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『日本基督教団の名称とアイデンティティ』


(2022.6.28記)


日本基督教団の通称が日本キリスト教団であることは納得できるものの、日本基督教団の略称が「教団」とされており、それが日本キリスト教業界一般に広く認知されていることについては常々疑問に思う。

他教団に対する「多数派の傲慢」にしか感じられないゆえだ。

リンク先は、日本基督教団のウェブサイトから、「About UCCJ」のページであり、UCCJは日本基督教団の英略称であるのだが、たとえ某珈琲メーカーと名称が酷似しようとも、UCCJを(英略称同様に)日本国内の略称ともすべきではなろうか?

さらに、このページ、「About UCCJ」の記述内容の問題点は、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(通称・日本基督教団戦争責任告白、略称・教団戦責告白)への言及が皆無であることだ。

日本基督教団にとって、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」は、「日本基督教団信仰告白」と同等、否、それ以上に日本基督教団のアイデンティティであるとみなされて然るべきものであろうから。




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『こんな時だからこそ』

(2022.6.27記)

セブンスデーアドベンチストも救世軍も、キリスト教あるいはプロテスタントとしての普遍的な説教よりも、他教派に比べてユニークな特殊性/特異性/独自性に根ざした説教が目立っていた記憶がある。クエーカー(フレンド派、友会)の感話〈職制を有しない同派では説教に該当〉も同等もしくは上記2派以上の傾向がある。

国家による圧力に屈したことが成立のキッカケという超特殊性/超特異性/超独自性を帯びている新興宗教・日本基督教団も、キリスト教としての普遍的説教も決して悪くはなかろうが、ここはひとつ、上記3派に倣い、例えば「教団戦争責任告白」を自らの中核的アイデンティティに据えた説教も必要不可欠ではないだろうか。

特に、改憲への足音がヒタヒタと迫りくるのを感じずにはおられないこのご時勢だからこそ!


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『やはり気になる…やはり引きずる…』

(2022.6.27記)

いわゆるラジカルフェミニストの中にはトランスフォビア思考/思想/体質を帯びた人びとが決して少なくないとされていることと、某大物政治家が先月練馬に講演に来た際、“X/NB…等”へのマイクロアグレッション・ワードに該当する「男女平等」「男女共同参画」について「違和感ナシ」「問題ナシ」を公言したこととは、無関係なのか否かについて考え込まざるを得ない今日この頃。

が、最近、MtFトランスジェンダーのキリスト者自治体議員やFtMトランスジェンダーの若手キリスト者にワタシの暗澹たる気持ちを告白したところ、共に「某大物政治家には違和感/某大物政治家には疑問」とする反応を得られたことは、心の平安の回復に繋がり得ることであろう。

持つべき者こそ「キリスト者トランス仲間」なのかも知れぬ。

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『日本基督凶弾号?!』

(2022.6.26記)

新興宗教・日本基督教団が、戦時下において信徒たちからの浄財(献金)によって陸海軍に合計4機“奉納”した戦闘用航空機『日本基督教団号』と同型の「あいち製99式艦上爆撃機」(略称・99艦爆)のプラ模。

信徒向けと思しきキャッチコピーが、『飛べ!日本基督教団号!』だったらしい。

飛ぶかどうかわかんないような飛行機だったかも知れぬことを忍ばせる……





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『日本基督教団はセブンスデーアドベンチストに謝罪すべき』


(2022.6.26記)


戦時下、国家権力によって弾圧/迫害/一斉検挙/投獄(獄死者あり)/解散命令…等の憂き目にあったホーリネス系諸派は、官製の新興宗教「日本基督教団」に(おそらく渋々ながら)合流していた。そしてホーリネス系諸派は(おそらく何からの目的のもとで)第6部と第9部に振り分けられた。
《ただし、日本基督教団要町教会の野澤菜奈牧師によると、ホーリネス系のなかでもマイノリティなグループは第7部に振り分けられたという》

日本基督教団は、戦後22年を経た後に板橋大山教会牧師の大塩清之助氏(当時40歳)が起草した文面をもとにして『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』(通称・教団戦争責任告白)を確定し、当時の教団議長・鈴木正久(西片町教会牧師)の名前において世に発表。

この戦責告白に基づき、ホーリネス系諸派が主に振り分けられた第6部と第9部の人々に対して面と向かった形で公に謝罪したのは戦責告白から数年~十数年を経てからと聞いている。

しかし…である。

やはりホーリネス諸派同様、国家権力によって弾圧/迫害/一斉検挙/投獄(獄死者あり)/解散命令…等の憂き目にあったセブンスデーアドベンチスト派に対しては、日本基督教団は(公には)未だに謝罪していないはずだ。

開戦直前、新興宗教「日本基督教団」への合同を決議する場において、いざ決議の採決をとる際に議場から退席し、自らの意志で以て新興宗教「日本基督教団」への合流を拒否したセブンスデーアドベンチストの牧師や宣教師たちの「自己責任」というのが、未だに謝罪をしていない理由なのであろうか?

ワタシ、レナが教団戦争責任告白を起草した大塩清之助さんからの推薦を受けて入学した農村伝道神学校にて農場実習を教えていたH教師(当時、三鷹教会牧師)が、

『日本基督教団はホーリネス系の6部と9部の人たちには謝罪したが、それだけでは足りない。セブンスデーアドベンチストの人びとにも謝罪すべきだ。さもなくば、教団戦争責任告白を奉じているとは言い難い』

と、(当時はまだセブンスデーアドベンチストに籍を置いていたワタシもいた所で)農場実習履修者参加者たちに宣ったのであった。

その言葉を聞いたワタシは、『あ、そうだったのか……』と(恥ずかしながら)思わされたのである。

なお、前出の野澤菜奈牧師によると、セブンスデーアドベンチストが教団合同に与した際には、ホーリネス系のマイノリティグループ同様、第7部に組み込まれるはずだったらしい。

実は彼女が現在牧師を務めている教会は、セブンスデーアドベンチストが組み込まれる予定だった第7部に振り分けられた、ホーリネス系のマイノリティグループの流れを汲んでいるらしい。

以上

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『杉山元治郎と賀川豊彦の罪過』


(2022.6.25記)

この時期、他の如何なる政党にも増して日本社会党の流れを汲んでいるとおぼしき政党の支持者であるワタシがこんなこと言うのも、とてもビミョーなのであるが……

終戦直後に結党された日本社会党の結党呼び掛け人に加わっていた2人の日本基督教団牧師・杉山元治郎と賀川豊彦もまた、ホーリネスやセブンスデーアドベンチストの牧師や有力信徒たちを特高警察に売り渡して十字架に付けた者であることを、強い自省心を以て今一度噛み締めておきたい。

獄から開放された後のセブンスデーアドベンチスト牧師の手記を昔読んだ記憶がある。

監獄出所の時に自動車で迎えに来てくれたのみならず、しばらくの間、物心両面に渡って支えてくれたのが日本共産党の関係者たちだったという。

獄に繋がれた者同士の「愛」を、さぞかし深く感じたことであろう。


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『恩返しを如何に…』

(2022.6.25記)

大塩清之助さん横田勲さん吉松繁さん東海林勤さん。 教団激動期における東京教区の“社会派牧師BIG4”と言える全員が全員、我が恩師である事実に、思わず身が引き締まる思い。

教団戦責告白を巡る議論や万博東神大闘争が白熱化した1960年代後期から70年代に掛けて、日本基督教団は大揺れに揺れた。そう、ワタシが「幼・小・中」に通っていた頃のこと。

東京教区総会の開会歌が賛美歌ではなく「インターナショナル」だった頃。

そして上記4人の恩師たちは問題提起者の若者たちに寄り添い続けた。


そして1990年代。

農村伝道神学校に推薦してくれた恩師大塩さん。

練馬区の市民運動における先輩たる恩師横田さん。
神学校新卒で赴任した教会における恩師吉松さん。
そして神学校で直接教えを受けた恩師東海林さん。

彼らにどう恩返しが出来るだろうか?と考える今日この頃。

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『土屋のりこ足立区議の事務所開きにて吉松繁牧師との奇跡的邂逅』

(2022.6.24記)

日本基督教団大泉教会の(前世紀までの)牧師夫妻・横田勲さんと横田幸子さんから1996年に紹介された、沖縄反戦映画『GAMA 月桃の花』練馬区上映会の主たる担い役の練馬区立保育園の保育士さんの縁で、2011年の「3.11」後に知り合った、無所属・市民派の土屋のりこ足立区議(当時はまだ議員ではなかった)。

彼女の新たな事務所開きが2019年1月に行われることを知ったワタシは、区外在住者ながら彼女を応援する者の1人として当日駆け付けた次第。

スカイツリー線の駅からほど近い事務所のそばまでくると見覚えのある姿が…。

吉松繁牧師その人であった!

実は吉松牧師が設立した北区の教会に神学校新卒のワタシが副牧師として赴任したのが1999年4月。以後2年間その教会で吉松さんと一緒に牧会に励んでいたのである。

訳あって教会は離任したが、元々、(ワタシの支持政党でもある)新社会党との関係が濃密な吉松さんゆえ、2005年に新社会党練馬総支部が吉松さんを講師に迎えた日韓問題講演会を開いた際には、練馬総支部執行委員長からの依頼を受けたワタシが王子神谷にある吉松さんの住宅兼教会までドアトゥドアの送迎をした。もちろん駐車場代や燃費代+αは練馬総支部持ちで。

ワタシはあの教会自体からは「追い出された」形ではあるが、吉松さん個人とは繋がりを続けていた。これは支持政党を同じくしていることと決して無関係ではなかろう。

話をもどす。

土屋のりこ足立区議の新事務所開きへの道すがらの奇跡的な邂逅は、両者を共に驚愕させたものだった。

色々と話を聞いてみると、隠退牧師となった後、60年近く住んだ王子神谷をはなれて足立区に住まいを移したところ、区議会報を読んで全くブレない若手区議がおり、しかもポリシーや価値観、平和・人権への思いが自分とかなり近いことにも驚き、実際に演説を聞いて尚更その思いを強くした。それが土屋のりこ足立区議だった。

吉松さんは土屋のりこ足立区議と初めて直接顔を合わせた時、『実に頼りになりそうな美少年』と思ったそうだが。

無所属・市民派の土屋のりこ足立区議の新事務所開きは盛り上がった。当然の如くと云うべきか、新社会党足立総支部の執行部もお祝いに駆けつけていた。そう、正に『類は友を呼ぶ』のだ。

事務所開きを終え、駅までの道すがら吉松牧師に

『実はワタシの親族が水爆被爆マグロ漁船の第五福竜丸の元船長であり、それゆえ、ワタシは練馬原水協と練馬原水禁と双方に縁があり、その関係もあって2014年には、練馬原水協と練馬原水禁との共同の呼び掛けで元乗組員の大石又七さんを呼んで講演会を開いた。そもそも、この集会を企画立案し、「協」と「禁」に対して共催を呼び掛けたのは他でもなくワタシである』

旨告げると、吉松牧師は大仰天した。無理もない。

彼は60年代以降の「協」VS「禁」による「各時代(核時代?)の大闘争」の歴史を熟知しているからである。

彼はワタシを指して『やはりあなたは神からの大きな使命を担っている人だ!』と言った。

そんな彼が日本基督教団に転籍してくる前の出身教派は、固きキリスト再臨信仰ゆえに戦時下において国家から迫害/弾圧/一斉検挙/投獄/解散命令などの憂き目に遭ったホーリネス教会である。

そう、ワタシの出身教派セブンスデーアドベンチスト教会と同様に。


土屋のりこ足立区議をはさんで、右に吉松繁牧師、左にレナ。
 


2014年11月8日に、練馬原水協と練馬原水禁との共同の呼び掛けによって、ココネリホールにて行なわれた第五福竜丸元乗組員大石又七さん(1934~2021)と都立第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんの講演会。

巷間、この集会の元締め的役割を果たしたのは、あたかも別の人であるかの如く認識されている旨風の噂で耳にしたが、これは明らかな間違いであり、甚だしい事実誤認。

そもそも正真正銘の“言い出しっぺ”であり、最初の企画立案者は、第五福竜丸の元船長の親族であるレナである。間違いなく。

このことはワタシの名誉に関わることでもあるので、是非とも強調しておきたい!


PS.
セクマイ界隈ならずとも全国的にも広く認知されている2020年9月に発生した足立区議会本会議における保守系議員による同性愛者差別発言事案。

公人によるセクマイ差別発言事案発生直後、地元足立区の当事者団体の共同代表の1人から依頼され、土屋のりこ足立区議を紹介したのは、何を隠そう、ワタシことレナである。

足立区議会の中では土屋区議が差別発言議員に対する追及/指弾の急先鋒に立ち、同時に当事者たちとのタウンミーティングも積極的に行ない、当事者たちの意見集約を以て足立区長ならびに足立区議会に働き掛けたのである。

もちろん地元当事者団体との固いタイアップの元での該当宣伝行動も大いに功を奏した。

そして、差別発言事案発生から約1ヶ月後、くだんの差別発言議員は区議会本会議席上にて、発言撤回を表明し、不充分ながらも謝罪も行なったのである。

もちろん地元当事者団体が行なったネット署名活動も充分に効果があったであろう。

そして足立区は差別発言事案発生から役半年後の2021年度より、パートナーシップ/ファミリーシップ制度の実施に至ったのである。

地元当事者団体との強力な繋がりを持つと同時に、この差別発言事案に関する(区議会ならびに区長への)働き掛けにおいて、他議員たちを先導したのが土屋のりこ区議であったことをここで強調しておきたい。

彼女を地元の当事者団体に橋渡ししたのはワタシ、レナであることも同様に。


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『2015年戦争関連法案国会審議の頃』

(2022.6.24記)

2015年夏、国会で戦争関連法案が審議され始める直前、ねりま九条の会のO事務局長から『練馬区内の宗教者たちの連名によって戦争関連法案の廃案を求める共同声明を出すような考えはレナにはあるか?』という趣旨の打診を受けた。

実はワタシももちろんそれは気になっていた。さらに幸いと云うか、ワタシはそれまで20年近く「同和問題」にとりくむ宗教教団東京地区連帯会議(東京同宗連)のメンバーとして活動してきており、練馬区内にも友人知人の宗教家は数人いる。

さらに、ワタシの神学校時代の恩師でもあり、日朝日韓問題および核・原発問題については日本のキリスト者の第一人者だった東海林勤牧師(1932〜2020)が隠退牧師として練馬区内で生活していた。さらに、東海林牧師はNCC(日本キリスト教協議会)の総幹事だった1979年、米国プリンストンで開かれた第3回世界宗教者平和会議の開催中、「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(全国同宗連)の結成のキッカケとなる重要な問題提起をしたのであった。

ワタシはすかさず、ねりま九条の会のO事務局長を東海林牧師と引き合わせた。

そして3人で協議した結果、レナが『戦争関連法案に反対する練馬区の宗教者による共同声明』の案文を書き、東海林牧師がそれを推敲・添削したものをファイナル文として決定し、その『戦争関連法案に反対する練馬区の宗教者による共同声明』をレナおよびO事務局長の友人知人の練馬区民の宗教家たち、つまり僧侶・神職・神父・牧師などに提示し、賛同の打診をする運びとなった。


ちなみに、甚だ蛇足になるが、1967年イースターに発布された『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』(通称・教団戦争責任告白)を起草したのが我が恩師たる大塩清之助 牧師であり、それを推敲・添削して決定版としたのが当時の日本基督教団議長だった鈴木正久であった。まあ、スケール的には段違いではあるが、“鈴木大塩関係”に”東海林レナ関係”をなぞらえていた、当時のワタシ、レナであった。

話を戻そう。


こうしてファイナル文があがった『戦争関連法案に反対する練馬区の宗教者による共同声明』には、区内在住在勤の宗教家たち15,6名からの賛同を得、各人の所属宗派・所属教団と姓名を声明に添えた。

そしてそれを持って、ワタシとねりま九条の会O事務局長とで衆参両院議長宛に届けた。両院に赴き、受理担当職員に声明を手渡す前、ワタシが両院本部のロビーにいた他の人々にも聞こえるくらいの大きな声で声明文を読み上げたことは言うまでもない。(ネタばらしをすれば、それはO事務局長に要請されたワケではなく、ワタシの完全な“アドリブ”であった)

そしてもちろん、これだけでは終わらない。
ワタシたち練馬区の宗教家有志たちは、数日間を掛け、それぞれの“仕事着”つまり僧侶なら袈裟、神職なら神衣、神父牧師ならガウンを着込んで議員会館内を整列闊歩しつつ「戦争関連法案特別委員会」のメンバーの全議員たちの控室およびその他の有力議員たちの控室も廻って「声明」を手渡してきた。
(各人の仕事着を着込んでの議員会館内闊歩は、ねりま九条の会O事務局長案である)


残念ながら「戦争関連法案」は可決・成立してしまったが、ワタシたち練馬区の宗教家有志がやり遂げたこのことは、決して意義の無いことでは無かったハズだ。

2015年夏と同様のことを、われわれ練馬区の宗教家たちがやるべき時がいよいよ来た時には、次回は是非とも伝統仏教大宗派に属する僧侶の方々にこそイニシアチブをとって頂きたい。

7年前は“弱小新興宗教”たる日本基督教団の“東海林レナ”の師弟がイニシアチブをとったのだから、伝統仏教大教団の皆さんがたに出来ないことではない。

PS.
ちなみに、「日本基督教団戦争責任告白」は、大塩清之助氏が書いた草案の9割がそのまま採用されているという。大塩氏の手書きの起草文をみた彼の息子がそう言うのだから、間違いなかろう。

また、『戦争関連法案に反対する練馬区の宗教者による共同声明』もレナによる草案の9割がそのまま活かされていいることを記しておきたい。


PS 2.
戦争関連法が成立してしまった前後、「戦争法No!ねりま実行委員会」が立ち上がり、2015,6年に掛けて3回ほど『戦争法No!ねりま大集会&パレード』を挙行した。

第1回大集会のおりには宗教者の発言は無かったが、第2回大集会の前の実行委員会にて「今度は宗教家にも発言してもらおう」ということになり、レナの仲介により、石神井町にある真宗大谷派の寺院の正住職E.Kさんにお願いすることになった。彼は2004~2006年東京同宗連の第6期議長を務めていたのでレナとは旧知の仲間であるのみならず、レナと同い年しかも2人の誕生日はひと月も離れていなかった。

ちなみに第3回大集会のおり、やはりレナが仲介し、レナの恩師・東海林勤牧師が宗教家としての発言を行なった。


PS 3.
練馬区の宗教家有志による国会議員会館ロビー活動のおりには、カトリック教徒の麻生太郎議員と日本基督教団信徒の石破茂議員の控室にも赴き、声明を届けたことは言うまでもない。


PS 4. 
なお、レナは「戦争法No!ねりま実行委員会」が主催した2018.5.3「“HAPPY BIRTHDAY 憲法!”」ねりま大集会&パレードのおりに区内の宗教者代表としてスピーチを行い、

『第二次大戦下において日本基督教団はあろうことか日曜礼拝に先んじて皇居に身体を向けて戦勝を祈願したのみならず、キリスト再臨信仰を破棄してしまった。更に事は以上に留まらず、共に再臨信仰を固く奉じ続けたホーリネス教会やセブンスデーアドベンチスト教会を特高警察に売り渡し、彼らを十字架に付けること同然の罪をおかしてしまったばかりか、陸海軍に戦闘用航空機「日本基督教団号」4機を献納するなど数々の罪過をおかした。これらは全て神とキリストイエスの権威を貶め、神とキリストイエスの御旨御心にそむくこと甚だしいことであり、その反省と懺悔を思いを以て、戦後22年経った1967年に「日本基督教団戦争責任告白」を世に対して発布した。これは単体の宗教団体としては何処よりも先んじたものであり、当時としては活気的なものであった。ちなみに「教団戦責告白」を起草したのは我が恩師・大塩清之助 牧師(当時40歳)である』旨語らせてもらった次第。

2018.5.3「HAPPY BIRTHDAY憲法!」ねりま大集会でスピーチするレナ。
《撮影・とや英津子 都議会議員 (日本共産党)》

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『反戦名歌「月桃」で思い出すこと』

(2022.6.23記)

本日は77回目の沖縄「慰霊の日」。

1996年日本基督教団大泉教会の(当時の)牧師夫妻・横田勲さんと横田幸子さんに勧められて入手したチケットが、沖縄の反戦映画『GAMA 月桃の花』の練馬区立勤労福祉会館・上映会だった。

上映の前、この映画のプロデューサーの音楽家・海勢頭豊作詞作曲、そしてこの映画の主題歌でもある『月桃』の歌唱指導をしてくれた、ワタシと同い年の区立保育園の保育士さんとフトしたことがキッカケで親しき運動仲間となった。

そして翌1997年、ワタシたちの神学校の修養会先が沖縄島に決まり、1週間ほど同島において学びの時を持たせてもらい、その翌年1998年神学校最終学年のワタシの夏季伝道実習先が宮古島伝道所となった。

その十数年後の2011年、ワタシがメンバーになっている、主に練馬区民の運動家中心のと或るメーリングリストに、映画『GAMA 月桃の歌』練馬区上映会をになった区立保育園の保育士を推薦したところ、な、何と『映画「GAMA 月桃の花」の上映運動を各地で展開しているグループは、“セクト”だ!』ということにされ、彼女の加入が見送られたことがあった。

推薦した手前、ワタシは彼女に当然ながら深くお詫びをした。然程気にしない様子ではあったが、“セクト”呼ばわりされてさぞや傷付いたことでろう。にもかかわらずその後も運動仲間を続けてくれている。

ハッキリ言おう、ワタシは、彼女が属するグループを“セクト”呼ばわりして彼女のメーリングリスト加入を拒否したグループにこそ、強いセクト性をヒシヒシと感じている。そしてもちろん、それを前提にして距離をとりながら付き合っている。

海勢頭夫妻がコンサートのアンコールピースとして演奏している『月桃』の映像を視聴しつつ、どうしてもここに書き留めたくなった次第。

保育士の彼女がメーリングリスト加入から排除されたことで、敬愛してやまない横田牧師夫妻をも貶められた気すらしたものだ。横田夫妻も彼女を信頼していたからこそ、映画チケットを預かったのであろうから……

彼女が担った映画『GAMA 月桃の花』練馬区上映会の配布物に書き記していた『あまりにも優しい沖縄の人々と共に高濃度の泡盛を朝まで飲んでいたい』という横田勲牧師の言葉について、後日、彼女と『あれ、とっても勲さんらしいよねぇ…』と語り合ったのも懐かしい。




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 『我が母教会と継母教会』

(2022.6.23記)


日本基督教団構成員をかれこれ四半世紀以上続けているのだが、開戦直前、国家の意向に従って天皇(制)賛美に転じ、神とキリストイエスの権威を貶めたにとどまらず、固いキリスト再臨信仰を奉じたホーリネスやキリスト再臨信仰こそ生命線とするセブンスデーアドベンチストを国家権力に売り渡し、あたかも彼らを十字架につけるごとき行状を露呈させた日本基督教団の体質は、今や完全完璧に払拭されているのであろうか?という疑いは未だにある。

何だかんだ言っても、結局は強者におもねるような全体的傾向をここ四半世紀間、そこかしこでヒシヒシと肌味で感じる。

こんなことを書くと『レナはセブンスデーアドベンチストの回し者/蝶者/スパイだ!』などと根も葉もないことを喧伝されそうだし、事実そう言われているかも知れぬことをそこはかとなく感じてならない。

改憲への兆しが本格化しつつある現在だからこそ、日本基督教団構成員諸氏たちには、1967年イースターに発布された『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』(通称・教団戦争責任告白)を今一度確りと噛み締めて頂きたい。

ちなみに教団戦責告白を起草したのは、1990年代前期当時セブンスデーアドベンチストに在籍していたワタシを農村伝道神学校に推薦してくれた大塩清之助 牧師(1926~2018)。

セブンスデー・アドベンチスト天沼教会を母教会とするワタシの継母教会といえる日本基督教団板橋大山教会の開設者である。


レナの母教会  セブンスデー・アドベンチスト天沼教会の外観



レナの継母教会  日本基督教団板橋大山教会のステンドグラス


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  『教団、政党、狭い世間…』

(2022.6.21記)

昨夜は福音派系のセクマイコミュニティの集いに参加させてもらい、「男女平等」「男女共同参画」のワードが如何に我々(X/NB…等)へのマイクロアグレッションであり、間接的差別であるかを説かせて頂いた。

ワタシが最近直接体験した実例をも引用したからか、参加者たちは一様にワタシの主張にシンパシーを持ってくれた様子だったのは嬉しかった。

ワタシは今でこそリベラルな陣営の一員として(日本キリスト教業界的には)カウントされる存在ではあるが、母教会(受洗教会)は福音派とされる教派に属しているゆえか、“福音派的体質”が肌身に染み付いているのかも知れない。

そういえば、リベラル陣営の代表格の、知名度高きセクマイ当事者牧師の彼も、ワタシの母教会が所属する教派の系列中学校&高等学校の卒業生である。彼はワタシよりだいぶ年少ではあるが、彼の中学高校時代の友人たちの中には(上記の経緯もあってか)ワタシの知人も少なからず含まれている。なかでも、ワタシが密かに惹かれていた音大ピアノ科出身の青年が彼の高校の1年後輩で、しかもかなり親しい間柄であった事実を知った時には、世間の狭さを実感した。まあ、日本ではマイノリティのキリスト教業界では「あるある」過ぎる類なのたが…

ワタシの母教会が所属する教派は、戦時下において国家によってつくられたとも言える官製の新興宗教「日本基督教団」に加わることを拒絶したことで、国家から目を付けられ、迫害/弾圧/一斉検挙/投獄/解散命令など数々の憂き目に遭った。しかし戦後は見事に復興を遂げ、官公庁の調査による“キリスト教信徒数ランキング”ではここ毎回7位につけているようだ。

ちなみに、戦時下における官製の新興宗教たる日本基督教団に所属していた2人の牧師を含む呼び掛け人たちによって戦後直後に結党されたのが、現在のワタシの支持政党である新社会党の源流である日本社会党である。

さらに、日本社会党の結党呼び掛け人に加わった2人の日本基督教団牧師のうちの1人は、ワタシたちを育ててくれた神学校に些かの関わりがある。


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『2022.7.8「LGBTとキリスト教」重版出来記念トークイベントの主催者/協力者/登壇者の皆様方に向けて』

(2022.6.18記)

シスヘテロを中心とするセクシュアルマジョリティたちから、わけても「アライ」を自称する人々からひたすらリスペクトされ、〈時にはセンセイとよばれて〉尊重され、カリスマ視すらされる程に「強者特権」を享受しまくっておられる性的少数者の皆さま方には、《レナの如き》「いと小さくされ」「ひたすら蔑まされ」「人権はおろかその存在自体をも否定される如き」セクマイ当事者の思いや気持ちは、大変に申し訳ございませんがお分かりになって頂けないと思われますね。

皮肉でもなんでもないガチンコです。


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『人権関係の集会は参加費無料で然るべきでは?


(2022.6.17記)


3月末に日本キリスト教団出版局が刊行した『LGBTとキリスト教-20人のストーリー-』(平良愛香監修)の重版決定を記念してオンラインイベントが行なわれるという。

参加費1000円




ワタシは人権問題に関する集会は基本的に参加費無料で当たり前だと思っている。

人権意識を世に拡める目的の集いであれば、登壇者も手弁当で引き受けて然るべきだろう。せいぜい参加者有志で集めたカンパで交通費をまかなうくらいでよいのではないのか?


1987年、人生で初めて身を投じた禁煙嫌煙運動においては、ほとんどの場合参加費無料、スタッフならびに登壇者は手弁当。会場費用は参加者からのカンパから捻出していたハズ。

人権運動であれば至極当然のことだと思う。

主催者や協賛者そして登壇者には(おそらく)日々の生活には事欠かぬだけの収入を充分に得られているメンバーが主体ではないのか?
収入額のみならず社会的地位や社会的立場も「高い」と評価されている「有能」な人々が主流ではないのか?

イレギュラーなジェンダー・セクシュアリティのゆえに、生活するために充分な収入を得られない性的マイノリティが数多存在することを彼らはどれ程理解しているのか?

それどころか、イレギュラーなジェンダー・セクシュアリティゆえに就労さえおぼつかない人々がゴマンといるであろうことを彼らは知り得ているのか?

彼ら自身は自らが正真正銘の「強者」であり、それゆえその特権に与り続けられていることにどれ程自覚的になり得ているのであろうか?


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『年下のFtX当事者への呼称について』

(2022.6.17記)


ワタシの友人知人のFtX当事者(そう名乗らない人も中にはおるが)は何故か全員年下。

1人を除く他の全員に対しては無意識に“さん付け”呼称してしまうワタシなのだが、“くん付け”のほうがベターだろうか……とここ4年程の悩ましい課題。

何故ならばワタシに対して“さん付け”呼称してくれる年長者が殆どだし、ワタシを指す指示代名詞に「彼女」を使ってくれる人もいるし……

ちなみに「彼」と言われるよりは「彼女」と呼ばれたい気持ちが強いな、ワタシは。
ま、無難路線でいきたいならば「レナさん」だろう。

ただ、性別問わず年下から“くん付け”されたら、杉下右京チックにブチ切れそうではある。

年長者から「レナくん」呼ばわりされても別に何ともないのだが。


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  『今後に期待』

(2022.6.9記)

一昨日「東京同宗連」第29回総会が浄土宗大本山増上寺にて開かれ、第15期議長教団/事務局として日本基督教団が選出され、向こう2年間の任期を務めることになった。

新議長はM.Tさん。2006年からの第7期に日本基督教団が議長教団だった時期、事務局長だったワタシと共に働いてくれていた事務局員だった人で、ワタシより些か年長の牧師。彼との付き合いは、ワタシがセブンスデーアドベンチスト信徒だった時代から数えて30年以上にわたっている。

また、3人の副議長のうちの一人は前議長が務めるという慣例に基づき、浄土宗のH.T さんが新議長への心強いサポート役を果たしてゆく。そしてこのH.Tさんとワタシは「東京同宗連」の“同期生”であり、かれこれ25,6年の付き合い。さらに、毎朝夕仏壇に向けて20~30分の仏前勤行を欠かさないワタシの実家の宗教も浄土宗。

つまり新議長と新副議長ともにワタシの信仰上の同胞である。

その関連で以下に触れておく。

今年3月浄土宗大本山増上寺において、毎年度末恒例の「東京同宗連」と部落解放同盟東京都連との交流懇談会が開かれたが、その際、ワタシは次のように発言させていただいた。

『東京都下の多くの自治体には「男女共同参画課」や「男女平等参画推進課」などの名称の部署があると思うが、人間の性別というものは果たして2つだけなのでしょうか? そのあたりを是非とも考えていきましょう』

これを聞いた部落解放同盟東京連の役職者の方々は、皆さん共にうなずいてくれていた。

『あ、皆さん流石にワタシの思いを理解してくれた……』と感じた次第であった。

「差別する性/抑圧する性/強者たる性」である「男」、そして「差別される性/抑圧される性/弱者たる性」である「女」という、いわば“性的階級”とも呼びうる状況の中で、「X/NB……等」に該当するジェンダーアイデンティティの人びとは、いわば“階級外”の存在とされている現状である。

人間の生き方/生き様を特に「人権遵守」に立脚して世に問うてゆく使命を帯びた「東京同宗連」だからこそ、こうした状況をも打開してゆかねばならないだろう。

決して傍観者であってはならないのだ。

加えて幸いなことに、日本キリスト教団部落解放センター/マイノリティ宣教センター/(我が母校の)農村伝道神学校の3者で連帯共同し、性的マイノリティの人権に関する学び合いのプログラム化が昨年から開始された。

特に、昨年は部落解放全国活動者オンライン会議の中でそのプログラムが実施され、基調講演を務めたロバート・ウィットマーさん(カナダ合同教会宣教師/農村伝道神学校校長〈当時〉)はカナダをはじめとする北米大陸の先住民族特有のジェンダーであるトゥースピリットについて再三強調していたことも、同会議の参加者の記憶に新しいはずだ。

もちろん、同会議には「東京同宗連」の新議長も参加者として名前を連ねていたし、また同じく新事務局長も参加していたのではなかったか?

ちなみに、男女両性のジェンダーアイデンティティを持つワタシも同会議における同プログラムの発題者のひとりであった。

「X/NB……等」を除外しているかのような「男女平等」というワードや「男女共同参画」を謳った官公庁の部署名は、「ジェンダー平等」や「オールジェンダー共同参画」という全人愛的名称にとってかわる社会を一刻も早くもたらせたいところだ。

「東京同宗連」および、日本キリスト教団部落解放センター/マイノリティ宣教センター/農村伝道神学校の働きに大いに期待したい。

PS
改めて書くまでもないが、4月より農村伝道神学校に新任校長として着任したのが、1998年「男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師」となった平良愛香くんである。
 彼が農伝卒業間際、そのイレギュラーな性的指向の関連で教団上層部から就労差別発言を受けた時、ワタシを含む当時の学生有志が連名(しかも各自の名前直筆にて)で教団上層部に向けて抗議文を送付し、彼を力強くサポートしたことを明確に記しておきたい。


以上


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『よもすがら タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.6記)

ジェンダーアイデンティティが男女両性であるワタシがどれほどまでに、(その超イレギュラーなジェンダーアイデンティティのゆえに)タバコ問題に悩まされてきたか……

申し訳ないが、(少なくとも)シスジェンダー諸氏には分かってもらえまい。

《もちろん反タバコ活動家諸氏に関しては、それは当てはまらないかも知れないが》

とまれ、20代中期の頃職場で経験したハンパない受動喫煙被害についての詳細を、冷静に客観的に文章化出来るまでには残念ながらいまだ至り得ず…というところだ。

それをしようとするとフラッシュバックが起こり、トラウマがさらに深刻化することになるからだ。

それと社会一般および(至極残念なことに)日本宗教業界においては、いまだに《タバコ問題=人権問題》という認識に至り得ていない状況もワタシの目の前を暗くしている。

わけても日本キリスト業界におけるタバコ問題に関する不見識には腹立たしさすら覚える。

セブンスデー・アドベンチスト教会やキリスト教婦人矯風会による反タバコ活動が、日本キリスト教業界にいまだに浸透し得えていないことは実に嘆かわしい。

今後も原因を探りつづけなければならないだろうが、太平洋戦時下、国家による天皇崇拝強要に抗って日本基督教団への合流を拒絶したセブンスデーアドベンチスト教会が、当時の日本基督教団主流派によって特高警察に売り渡され、全牧師と有力信徒たちが投獄されて獄死者まで出した史実との関係も踏まえるべきであろう。

つまり、日本基督教団によって(戦時下の教団合流要求に与しなかった)セブンスデー・アドベンチスト教会は「反社会的教派」とラベリングされたその歴史的事実も。

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『じわじわ  タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.10記)

20代半ば時期、例の会社(ヘビースモーカー揃いの)での勤務時代、空気清浄機のそばにデスクがある40代と思しき女性従業員のタバコの煙がワタシを直撃したので、清浄機のスイッチを入れたワタシ。

それを見て彼女がとった言動が常軌を逸していた。

『(清浄機を)オンにすると寒い!』と言って、すかさずスイッチを消す。

そしてワタシに放った言葉が『男のクセに!』


もうただ唖然とした。


もうおわかりだろうか…
タバコ弱者の「X/NB……」の者に対するシス女性による差別/抑圧/いじめの、ごく1例と言いたい。

そんな状況でもワタシはひたすらの我慢を強いられたのである。

そう、「X/NB…等」の人権を慮ってくれないシス女性の皆様方に向かって書かせて頂いた次第。

異論反論があればとうぞご遠慮なく。


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『降っても  タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.9記)

非喫煙者のワタシ以外、フロア全員がチェーンスモーカーもしくはそれに近いスモーカーだった職場で働いていた20代半ば時期、『男のクセに(タバコの)煙を嫌がるなんて!』『男のクセに酒もロクに飲めないのか!』となじられたこと数知れず…。
社内や得意先との飲み会の際、『鍛えてやろう!』と言われてタバコの煙を顔面に吹きかけられたり、『これが社会人としての洗礼だ!』と頭から酒を掛けられたり……これはもう完全な物理的暴力だろう。

こうした行状に遭っても、自分の感情を徹底的に抑制出来ていた(否、T.P.O.をふまえて抑制を自分自身に強いていた)あの時の自分は、社会倫理的/道徳的/人道的には果たして正しかったのか、否か…。

キリスト教信仰を持つ前ではあったが、当時既にキリスト教信仰を持っていたとしたら、こうしたシーンにおいてとるべき信仰的態度とは如何なるものであるのか……と考える今日この頃。



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『晴れても  タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.8記)

歳を重ねるにつれ受動喫煙に対する耐性がますます低下していることを感じざるを得ない今日この頃。戸建て/アパート/マンションの一階から漏れ来るケムリこそ1番の難儀・難敵。

その次の難儀難敵が、歩行もしくはチャリこいでるワタシの後ろからおいこしてゆく自動車内の喫煙者。シッカリ流れてくるぞ、ケムリが。

前から来る歩行喫煙者およびチャリこぎ喫煙者など避けるのは容易い。原チャリやバイクの喫煙者はやや難儀するが。

タバコのケムリへの脆弱性はおそらく生まれもっての体質なのだろう。

「ジェンダーとの関係は何処に?」などとヤボなことをたずねなさんな。

トランス/X/NB……の人びとには多くをかたらずともお解りいただけていると思う。

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『明けても タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.6記)

「差別する権利/差別する自由」など存在しないことを知りながら、「受動喫煙させる権利/受動喫煙させる自由」も同様に存在しないことが何故理解されないのだろうか?

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『暮れても タバコ問題とジェンダー』

(2022.6.6記)

「趣味嗜好は差別問題とは繫がり得ない!」などというタワ言を何の躊躇いも無く言い得てしまうほどに良心を破壊されているのではないのか?
 とりわけシスヘテロ男は!

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『タバコ問題とジェンダー』番外編

(2022.5.30記)

1977年東海道新幹線こだま号に初の禁煙車両を誕生せしめた日本禁煙協会(母体はセブンスデー・アドベンチスト教団)の栄誉を讃え、セブンスデー・アドベンチストの女性創始者たるMrs.ホワイトにあやかり、『タバコ問題とジェンダー』シリーズの文字背景を白にいたしました。

今後も、どうぞお見知りおきを。

PS
昔の『相棒』には「Mrs.グリーン」なる名エピソードがございましたね。



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