降順版『タバコ問題とジェンダー』シリーズ

 

1980年7月、19歳時のレナ。山梨県富士吉田市にて。

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『宗教業界とタバコ問題』

(2023.2.4記)

『タバコ問題は人権問題』という紛れも無き事実は、トランスジェンダーの人権問題と同等もしくはそれ以上に(とりわけ宗教業界においては)認識されていないことが分かった次第。

日本におけるタバコ問題のパイオニアたるキリスト教2団体、つまりセブンスデーアドベンチスト教会と日本キリスト教婦人矯風会には、従来以上に(わけても)宗教業界への啓発活動に邁進して欲しいところだ。

巣鴨とげぬき地蔵尊で著名な曹洞宗高岩寺の住職 兼 内科医の来馬明規さんという頼もしい存在もいるではないか?

PS
来馬氏をワタシに紹介してくれた、当時豊島区議だった石川大我くんには(政治的立場こそ今やかなり異なるが)感謝している次第。

差別する権利/差別する自由などあり得ない!あってはならない!
受動喫煙が差別そのものであることに無自覚なまま「あらゆる差別反対!」などと叫んでも説得力は無いだろう。


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『宗教二日制』

(2022.8.23記)


1991年~93年頃の一時期、土曜日はセブンスデー・アドベンチスト(略称SDA。天沼教会/東京中央教会)、そして日曜日は救世軍(略称SA。杉並小隊/神田小隊/渋谷小隊)の礼拝に出席していたワタシであった。

つまり「週休二日制」を「宗教二日制」のために存分に活用していたワケだ。

まあ、SDA・SA両教派の共通点だが、所謂「社会性」をあまり感じぬ説教には物足りなさを感じないワケにはいかなかったのは正直なところではあるが、(キリスト教としての)“普遍的説教”よりも、SDA・SA共に教派の個性・特徴・癖をあからさまに出した説教のほうが(共感出来るか否かはともかくも)遥かに興味深ろかった。所謂“普遍的説教”では居眠りさせてもらっていたことが多いかもね。

とはいえSDAの禁煙運動・SAの禁酒運動については、『男社会』の圧により強制喫煙(受動喫煙)と強制飲酒により心身ともに損なったワタシとしては一定の評価をしたい。

そう、『男社会』による犠牲者は女性だけではアリマセン。

X/NB……等の様々な性別の人びとも『男社会』の犠牲者なのですよ!

『「女」の人権確立こそ第1。X/NB……等の人びとの人権確立は“あとまわし”で可』とする思考・思想には断固としてNO!を突き付ける次第。「同時並行」でなければなりません。


【添付写真説明】

両書籍ともに1990年夏の刊行。

禁煙嫌煙運動&夫婦別姓運動にある意味信仰生活以上にリキ入れてた頃。

その頃ワタシは、“軍隊的キリスト教”“社会鍋”“禁酒禁煙の戒律”で著名な救世軍が経営する病院で看護事務員として働いており、同世代のナースやドクターとタメ口きき合えるほど仲良くなれる便利なキャラクターが幸いし、ナース向け雑誌を読み漁る機会に恵まれていた。

プリントはそれらの雑誌『ナース専科』の中にあった記事。

ピンクのラインマーカーはなかなか的を得た箇所に引いてある…と思うのだが……。




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『中田喜直・生誕99年を祝して』

(2022.8.1記)

「日本クラシック音楽畑反タバコ3大アーチスト・第一人者」中田喜直生誕99年を祝す!

♫めだかのがっこうの めだかたち

♫だれがせいとか せんせいか

♫だれがせいとか せんせいか

♫みんなでげんきに あそんでる

詞 茶木滋

あらゆる教育現場における理想的姿が童謡の体裁で表された稀有な例と言えよう。

超絶辛辣な皮肉になろうが現代日本の教育業界にとって“良いクスリ”と言えよう。

〈“良薬口に苦し”の諺を思い出されたい〉

なお、作詞者は薬剤師でもあったと言えよう!

また、詞の2行目のリフレインは作曲者の提案で加えられたと言えよう。

そしてまた、この曲の「第1稿」にダメ出ししたのが、作曲者が当時交際していた年長の女性だったというハナシを作曲者がどこかで書いていた記憶があると言えよう。

『夏の思い出』の「第1稿」にダメ出ししたのが作曲者の母親であったことを思い出すエピソードと言えよう。

『めだかのがっこう』は『夏の思い出』の2年後の作品だったと思う、確か。

めだかの学校

https://youtu.be/HoJOXYAg5FA



1988年発売の『中田喜直  童謡名作選(104曲)』CD〈3枚組〉



1987年発売の『中田喜直  歌曲集』(27曲)

これは中田さん御本人からプレゼントされたお宝もの。

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『男性社会由来のトラウマ』

(2022.7.22記)

『夏の思い出』が歌唱テスト課題曲だったのが1974年中1時代。渡辺という50歳近い女性教師。それまでは同じ作曲者による『雪の降る町を』こそベストだと思ってたワタシだったが……

翌1975年音楽教師が転任で変わり、新任は40代の女性教師。歌唱テストには瀧廉太郎の『花』が。墨田区生まれのワタシにはこれも深いゆかりある曲。隅田川に掛かる1960年代の吾妻橋とアサヒビヤホールの光景が瞼の裏に映し出される。

翌1976年は彼女が担任となり、課題曲には「パイプのけむり」のエッセイストとしても著名な團伊玖磨の『花の街』。そう、『夏の思い出』の作曲者の最大の論敵の作品。

後年、社会人になった後、男性優位社会に無縁ならぬタバコと酒がらみの半端ないトラウマを抱えることになったワタシにとって、そしてそれがキリスト教信仰の入口/キッカケになったワタシにとって、中学時代の歌唱課題曲は実に象徴的だ。

しかし、中田喜直歌曲作品群各曲すべてが涙無しには聴けなくなっている自分を感じる。

皆どれをとっても朝に聴くにはあまりにも濃すぎる作品ではあるが。

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『「夏の思い出」の想い出』

(2022.7.21記)

針音高き古き音源、江間章子作詞中田喜直作曲『夏の思い出』の伊藤京子の、荒涼とした寂寞感に満ちた歌唱を聴き、改めて涙す。作曲者との嫌煙運動を介しての出会いにも涙。摂理か。

上記した伊藤京子の歌唱による『夏の思い出』と同一音源と思しきものがアップされていたのだが、スクラッチノイズ(針音)の有無による感動レベルの違いは大きく、デジタル化された上でのネット音声は如何にも味気ない。

とはいえ、これが同曲の現在聴き得るベスト音源と思しい。後にも先にもこれを超える歌唱は無いだろう。

https://youtu.be/JtB9hMsmKLw

ワタシにとって反タバコ運動とキリスト教信仰を象徴するこの曲は、作曲者の母親のアドバイスで作り直された曲だった。

当時観光地として無名だった尾瀬の雰囲気/イメージはこの歌によって固められたと言っても過言でなかろう。

奇跡のような作詞者作曲者のペアリング。

NHKの慧眼だろう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA



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『マエストロの95歳の誕生日を祝して』

(2022.7.11記)

実にめでたいことに、現役世界最年長指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットが本日95歳のバースデーを迎えた。

「日本三大嫌煙家クラシックミュージシャン」の一角かつ唯一の存命者である。

そして世界一著名なアドベンチストでもある。

心からお喜び申し上げる。

そう、あれは1990年頃だった。東京・荻窪にあるセブンスデー・アドベンチスト天沼教会の礼拝後の持ち寄り昼食会でブロムシュテットご夫妻と顔を合わせ、思わず駆け寄って『アイム・ユア・ファン!』と挨拶したところ、笑顔で握手を求めて来て下さったことを思い出さずにはおれない。

礼拝を終え、昼食会場の二階集会室に上がってみたら、ゲストでたまたま礼拝参加したとおぼしき外国人夫婦らしき2人を見て、『あ、あの人ブロムシュテットにえらく似ているなぁ…』と思っていたところ、教会のクラシック愛好家の友人から『ブロムシュテットさんご本人ですよ!』と教えられ、大仰天!

NHK交響楽団公演客演のための来日の折りには、普段は常宿のホテルに近き東京中央教会の礼拝に参加しているのだろうが、たまたまその日は天沼教会の礼拝にやってきたのであろう。

ワタシに握手を求めてきた時のご本人の笑顔もさることながら、となりにいたミセスの如何にも心底から人の良さそうな顔立ちも忘れられない。

偉大なマエストロの妻とあらば『ツンと澄ましたクールな人』であろうというワタシの思い込みが音を立てて崩れた瞬間でもあった。あのミセスの笑顔は必ずや周囲の人びとを幸せにする力があるだろう。

実に残念ながら、ミセス・ブロムシュテットはそれから数年後に召され、ミスターはしばらく深く気落ちしていたことを音楽雑誌を通じて知った。

あのミセスの笑顔として温厚で円満に間違いない御人格が、ミスターの名声と評価わけても日本の聴衆を心酔させるに至らしめたひとつの大きな要因なのかもしれない。

写真は、レコード芸術・別冊『演奏家別クラシック・レコードブック Vol.1「指揮者編」』(音楽之友社 1987年10月30日発行)

【この日付は第6回「喫煙と健康」世界会議が東京で開かれた頃と偶然にも合致している】


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『切なる願いを』

(2022.7.2記)

1979年米国プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議(WCRP-Ⅲ)において、「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(「全国同宗連」)の結成のキッカケをつくる積極的提案を行なった日本基督教団牧師・東海林勤さん(当時、日本キリスト教協議会総幹事)から、神学校在学中に「性差別問題講座」のカリキュラムを受講した者たちのハシクレ《その時の受講者の中には、今や日本のセクマイ界隈のカリスマとされている1人・平良愛香くんもいた》として、そして「東京同宗連」の元・事務局長の立場から以下述べる。

全国同宗連および各都府県同宗連としては、連帯共闘している部落解放運動団体に対して、宗教者としての立場から宗教者ならではの反差別の思いをもっと積極的にアピールしてゆくべきだと思う。

一例をあげれば、今年3月末、浄土宗大本山増上寺で行なわれた、毎年度末の恒例会合「東京同宗連と部落解放同盟東京都連との交流懇談会」の席上、ワタシことレナが、セクシュアルマイノリティ当事者(わけても、存在すら認められにくい『Xジェンダー・ノンバイナリー・ジェンダークィア・ジェンダーニュートラル・ジェンダーフルーイド・無性・不定性・中性・両性……等』の性別の当事者)たる立場において、『男女共同参画』のワードを部署名に含ませた都下各自治体による男女二分法に根ざした性別二元主義について批判させて頂いた上で、部落解放同盟東京都連の方々に対して意識喚起をさせていただいたことをあげておこう。

さらに、まぎれもなく人権問題であるにもかかわらず、社会一般的わけても宗教業界においてはそのように認識されづらいと思しきタバコ問題全般についても、積極的に意識喚起/啓発を果たしてゆくべきであろうと思われる。

幸いというか、東京同宗連の加盟教団のひとつである曹洞宗の都内の或る有名かつ大規模な寺院の住職は内科医としての顔も持ち、誰にでも分かりやすくて面白い反タバコ問題講師として評判が高い。

さらに、『Xジェンダー・ノンバイナリー・ジェンダークィア・ジェンダーニュートラル・ジェンダーフルーイド・無性・不定性・中性・両性……等』の性別の当事者を講師として探すのであれば、それには全く及ばす、「東京同宗連」組織内に存在するではないか!

ギャラも掛からないだろうから組織にとってこんなメリットもなかなか無いと思うのだが。


PS

当時の農村伝道神学校の「性差別問題講座」には、後年議論を呼んだ「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を主催した「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)」の共同代表でもあった東海林路得子さん(東海林勤さんのお連れ合い)も特別講師として登壇してくれていた。

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『「クリーンエアー」&「ケムケムいやいや」』

(2022.7.1記)

1990年5月セブンスデーアドベンチスト東京中央教会集会室における禁煙週間イベント『子どもたちにタバコの無い未来を!』において、中田喜直作品『クリーンエアー きれいな空気を』をデュオる齋藤麗子医師(現・日本禁煙推進医師歯科医師連盟会長/十文字学園女子大学教授)とレナ。ピアノ伴奏は作曲者自身。

撮影者はタバコ問題情報センター事務局長/嫌煙権確立をめざす人びとの会代表世話人の渡辺文学氏。

この時の歌唱が作曲者に評価されたのであろうか、翌1991年4月中田さんからレナ宛に送られてきた新作『ケムケムいやいや』の楽譜と送り状。


 


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『日本音楽畑三大反タバコ男』

(2022.6.29記)

1976年当時の国鉄にハガキによる要請作戦を決行して翌年日本初の禁煙車両を東海道新幹線こだま号に設置させた日本禁煙協会の母体、セブンスデーアドベンチスト教団の創始者エレン・G・ホワイト。

「嫌煙権」の名付け親にして、「嫌煙権確立をめざす人びとの会」の創設者たるコピーライター中田みどり。

セブンスデーアドベンチストと並んで日本における反タバコ運動のパイオニアと言える日本キリスト教婦人矯風会の初代会長矢嶋楫子。


うーん…ジェンダーバランス偏り過ぎているといえよう。


というわけで、今回は音楽畑、それも王道中の王道、クラシック音楽畑における“日本禁煙嫌煙三大男”のご紹介といえよう。


3人いずれとも直接の面識を得られたことはワタシにとって大きな宝といえよう


【第1の男】

作曲家・中田喜直(1923~2000)。

言わずとしれた超有名人。日本の教育業界では中田作品が流れない日は無いといえよう。


【第2の男】

指揮者・ヘルベルト・ブロムシュテット(1927~)

N響桂冠名誉指揮者。95歳にしてバリバリ現役。元気の秘訣は徹底した菜食主義といえよう。


【第3の男】

指揮者/音楽評論家・宇野功芳(1930~2016)

社会派漫談家牧野周一の息子で青年期に指揮者ブルーノ・ワルターから薫陶を受ける。音大声楽科に学ぶも胸をわずらい、指揮者に転向したといえよう。


写真は中田喜直氏を囲んで談笑する、嫌煙権確立をめざす法律家の会代表世話人・伊佐山芳郎弁護士とレナ。

1990年頃。

撮影者は、タバコ問題情報センター事務局長、嫌煙権確立をめざす人びとの会代表世話人の渡辺文学氏。



1992年11月、セブンスデー・アドベンチスト東京中央教会会堂にて講演するヘルベルト・ブロムシュテット。当時65歳。撮影:レナ


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『映画「矢嶋楫子伝」が練馬にやって来たが…』

(2022.6.28記)

セブンスデー・アドベンチスト教会と並ぶ日本における反タバコ運動のパイオニア、日本キリスト教婦人矯風会の初代会長・矢嶋楫子の伝記映画『我れ弱ければ 矢嶋楫子伝』の練馬上映会が本日14時から、しかも格安1200円で鑑賞出来たとは知らなんだ……

自称『練馬区随一の反タバコ運動家キリスト者』としては一生の不覚!

事前に教えて欲しかったなぁー、○○さん!……

ともあれ、この映画観た練馬区議さんは間違いなく練馬区役所庁舎玄関先屋外喫煙所の閉鎖/撤去に向けて働いてくれることを期待する次第。

宜しくね!、○○さん!

https://www.gendaipro.jp/yajimakajiko/theatre.html


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『“崩れ”と卒業

(2022.6.27記)

ホーリネスやセブンスデーアドベンチストが性的マイノリティへの無理解な姿勢を未だに崩し得ていないことと、両派が共に戦時下において新興宗教・日本基督教団によって十字架に付けられたこととは無関係ではない気がしてならない。

ところで、「男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師」は日本基督教団所属ではあるが、セブンスデーアドベンチスト系列の高校の卒業生であることをSNSで明かしており、同派の牧師たちとも親しき交流が続いてるようだ。

とりわけ、彼が最初にカムアウトした相手が高校在学時の親友であることは注目すべきことだろう。彼は2017年に本を出し、そのことにも詳しく触れているが、彼の高校時代の友人・先輩・後輩たちの多く(その中には牧師も決して少なくないだろう)は彼の本を読んでいるハズだ。

セブンスデーアドベンチストの本拠地米国では、性的マイノリティ当事者信徒のグループやトランスジェンダーの教会長老が存在する一方で、バイセクシュアルをカムした上で自ら辞職を選ばざるを得なかった元牧師もいるようである。

ただ、セブンスデーアドベンチスト世界総会レベルでは、議論こそ継続しているものの少なくとも性的マイノリティを全面否定する方向性は現在は無いのではないだろうか?

ま、今や部外者になってしまっているワタシの極めて勝手な印象にしか過ぎないので、真相の程は全く不明ではあるが。

そのあたりについては、ワタシよりも「男性同性愛者であることを公言した日本初の牧師」のほうが間違いなく詳しいだろう。

『セブンスデーアドベンチスト崩れの日本基督教団牧師』よりも、『セブンスデーアドベンチスト系列の高校OBの日本基督教団牧師』のほうが明らかに厚い信頼を得られていようから。

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『タバコCM廃止に至らしめた殊勲者は女性団体』

(2022.6.22記)

1980年代後期までTVのCMにおいてバンバン流されていたタバコCM。

このタバコCMを廃止に至らしめたMVPは“反タバコ勢力”の中の女性団体2団体。

つまり、喫煙と健康女性会議および日本キリスト教婦人矯風会である。

上記2団体が牽引し、日本禁煙協会(母体はセブンスデー・アドベンチスト教団)と嫌煙権確立をめざす人びとの会が彼女たちをアシストした構図だ。

写真は「禁煙協会」と「嫌煙権」、双方の会員だったレナによる、80年代末頃の禁煙デーイベントにおける「タバコCM廃止を求める署名活動」。

PS

日本禁煙協会の母体セブンスデー・アドベンチストの創始者はホワイト夫人。「嫌煙権」の名付け親にして、嫌煙権確立をめざす人びとの会の創設者はコピーライターの中田みどりさん。

いずれも女性であることにもご注目を!


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『禁煙嫌煙運動経由で夫婦別姓運動へ』

(2022.6.21記)

大阪地裁の婚姻の平等裁判不当判決の知らせを受け、29年前のこの写真の集会を思い出した次第。

夫婦別氏の法制化を実現する会・五周年記念集会 in 渋谷区立勤労福祉会館。

photo  by  ReNa (三脚+セルフタイマー)

男性として女性と付き合っていた頃。

夫婦別姓のほうも当時と変わらぬ状況。

ps

当時の禁煙嫌煙運動仲間もたくさん写真に入っている。というか、禁煙嫌煙運動仲間に誘われて夫婦別姓運動に飛び込んだ次第。



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『女性創始者の教派&キリスト教女性団体がPIONEERとも言える日本の反タバコ運動』

(2022.6.20記)

セブンスデー・アドベンチスト教会とキリスト教婦人矯風会が日本における反タバコ運動のPIONEER的存在であることは、日本の反タバコ運動界隈での共通認識であることにまず間違いない。

日本キリスト教婦人矯風会初代会長の矢嶋楫子(1833〜1925)はかつて喫煙者であり、最近の矢嶋の伝記映画においても主演の常盤貴子による煙管喫煙シーンが作品予告編でみられたものだ。

矢嶋の煙草の後始末の不備でぼや騒ぎを起こして以後禁煙を決意、キリスト教の洗礼を受けた旨ウィキペディアは伝えている。(往年の大指揮者オットー・クレンペラー同様、寝タバコでもおかしたのであろうか?)

セブンスデー・アドベンチスト教会の創設者エレン・グールド・ホワイト(1827〜1915)は、アドベンチスト派が起こった当初から喫煙の害をその夫と共に説き続けていたという。当時の若手牧師たちは自分の説教に説得力を持たせるため、低音の声質をつくるべく喫煙行為に励んでいたらしく、教派内に広く深く煙草の害を周知/浸透させるのに10年ほど掛かったという。

このセブンスデー・アドベンチスト教会、実は日本では長いこと“異端”の教派とのみなされてきた歴史がある。

昔、神田の古本屋街を散歩していた時、1962年版の『キリスト教年鑑』(キリスト新聞社発行)を見つけて中を開いてみると、プロテスタントでもカトリックでもない扱いの『その他』というカテゴリの中に記されていたのが、「キリスト友会(フレンド派、クエーカー)日本年会」/「セブンスデー・アドベンチスト日本連合」/「救世軍日本本営」であった。

〈なお、現在の『キリスト教年鑑』では上記3教派はいずれもプロテスタントのカテゴリ枠に組み入れられている。ただ、セブンスデーと救世軍は自らをプロテスタントの1派としての認識を概ね有しているが、キリスト友会については、自らをプロテスタントと見做されることに対してはどちらかというと否定的。寧ろキリスト教の1派というアイデンティティよりも、クエーカーとしてのアイデンティティが強いようだ〉

で、セブンスデー・アドベンチストの話にもどる。

未だにセブンスデー・アドベンチストを(クエーカーや救世軍以上に)“異端”視する多数派および主流派プロテスタントには、戦時下において国家による同調圧力に屈せずに日本基督教団への合同を拒絶し、結果、特高警察から迫害/弾圧された挙げ句、投獄の憂き目に遭って獄死者まで出した同派に対するコンプレックスの裏返し的な側面も少なからずあるのではなかろうか?

寧ろあの戦時下においても国家による圧力に屈せず、神とキリストイエスの権威を貶めることをしなかった固き信仰心は褒め称えられ、リスペクトされて然るべきであろうに。


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『3人の革新系議員さんに向けて』

(2022.6.18記)

練馬区庁舎玄関先屋外喫煙所に関して、以下の文面を練馬選出東京都議お一人、および、5人のメンバーを有する練馬区議会の革新系会派のリーダーのお二人あてに送信しました。

↓↓↓↓

○○さま

□□さま

△△さま

おはようございます

日本キリスト教団牧師としてワタシの同労者/同胞でもある野沢なな練馬区議が、練馬区庁舎玄関先喫煙所の閉鎖に向け、確固とした働きに取り掛かり出してくれました。

都議としての○○さん、そして区議会5人会派のトップとしての□□さんと△△さん、お3人のお働きにも期待しています。

どうか野沢議員に倣って下さい。野沢さんに並走して下さい。野沢さんをサポートしてください。


先日、キリスト者や仏教者そして地域労組幹部の人々も交えて、オンラインにて練馬区役所玄関先喫煙所の問題を共有、『速攻閉鎖すべきもの』という異見の一致をみました。

オンライン会合のメンバーの中には沖縄の大学の学長を務める医師で日本キリスト教団の信者もおり、日本禁煙学会の理事・総務委員長の薬剤師でセブンスデーアドベンチスト派の牧師資格者もおりました。

他にも、アドベンチスト教会と並んで日本における禁煙運動のPIONEERであるキリスト教婦人矯風会の役員の方もおられました。

そして、ワタシの友人である日本キリスト教団牧師や浄土宗僧侶もおりました。

また、練馬地域ユニオンの執行役員(誰とは言いませんが、皆さま方が間違いなくよくご存知の人です)もいました。

皆さま方の政党や会派は共に「福祉」の大切さを強調されておりますね?

車イス利用者などが来庁の際に必要とするスロープ通路と庁舎玄関先喫煙所との距離の近さたるや、大問題ではないでしょうか?

ましてやこのご時勢、エアロゾル感染の危険はまだまだ存在し続けているのですよ!

練馬区議の人の中には、香害問題に取り組む団体に属する人や、その名前に「福祉」のワードが付いた団体に属している人がいますが、そういう人たちは、あの危険極まりない庁舎玄関先喫煙所のことをどのように考えているのでしょうかね?

まさか、受動喫煙による健康被害が及びかねない来庁者(わけても車イス利用者などの来庁者)のことよりも、喫煙欲求がある区職員のことを大事にしてやいませんか?

という訳で、区民の代弁者たる皆さま方に、ワタシが2年半近くも口酸っぱくして庁舎管理係や、そこを管轄する総務部総務課に言い続けていることを今あらためて強調させて頂きます。

ご検討ならびにご健闘を心から期待しています。

以上


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『野沢なな練馬区議からの報告』

(2022.6.17記)

野澤菜奈日本キリスト教団牧師としての顔も持つ野沢なな練馬区議(1人会派「ふくし蒼風会」所属)から、大問題の練馬区役所玄関先屋外喫煙所に関する報告を受けた。

以下かいつまむと、

総務課の庁舎管理係とは、2度ほど話をした。喫煙所がスロープに近すぎるから、望まずして受動喫煙の被害を受ける人が出かねないという(区民からの)意見があること、および前川区長にとっての第3期目がはじまった契機に改めて見直しをして欲しい旨を伝えている。

また再度言い続けてゆくつもり。

とのこと。

大いに期待することにしよう。

区民の代弁者の1人としてのリスペクトを忘れず、なおかつ信仰上の同業者としての同志として。

ワタシに深い縁(分けても信仰面での)がある数字「7」にもつながるお名前でもあるし。

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【「タバコ問題とジェンダー」シリーズ特別編】


『練馬区役所玄関先喫煙所問題のこれ迄の主な経緯』


(2022.6.16記)


練馬区役所の(大問題の)玄関脇喫煙所に関することをここでまとめておこう。


コロナ禍が始まって既に2年半近く経つものの、練馬区総務部総務課の庁舎管理係は、添付写真の如き危険な喫煙所を一時閉鎖措置すら未だに一度たりとも行なっていない。緊急事態宣言やまん延防止策発出下ですらである。


私が当初から口をすっぱくして警告しているにもかかわらず。


庁舎管理係のみならず、同係を管轄する総務課に伝えてもダメ。


【添付写真ご参照】



練馬区役所の本庁舎と西庁舎の玄関の間にある屋外喫煙所の写真。


 車イス利用者等が来庁の際に通るであろうスロープ通路と喫煙所(ツイタテのところ)の距離の近さたるや!


(スマートフォンのレンズは広角レンズなので喫煙所は奥まって見えるが)




また、昨年4月26日、区の職員労組の幹部とTELにて話した際には、スモーカー職員の喫煙の自由ばかりを主張し、受動喫煙によってエアロゾル感染の危険もある区役所来庁者の健康被害について気づかう言動など一言も無かったどころか、こちらの熱心な説明に対して「せせら笑い」を浮かべることも数回。


来庁者の健康を願う区民に対する態度ではありません。むしろ区民を蔑んでいるかのよう。


(私は基本的に行政交渉にあたっては自分の発言に責任を持ちたいので、上記の職員〈もちろん職員労働組合幹部も含め〉との会話は全てボイスレコーダーで録音してある)


実は、私の友人の武蔵大学社会学部教授・永田浩三さんからの依頼を受け、彼のゼミ生の卒業制作を手伝ったのだが、『タバコに負けない社会つくりを〜奮闘する3人の嫌煙家たち〜』というタイトルの20分ほどの動画に、片山律弁護士と横浜タバコ病訴訟の原告の方と私が出演させてもらった。(もちろんそのビデオにおいても、練馬区役所の喫煙所問題についての言及がある)


そしてその永田浩三さん由来の縁と、35年来の旧知の「嫌煙権確立をめざす法律家の会」代表世話人・伊佐山芳郎弁護士のおすすめもあり、練馬区役所の玄関喫煙所の件を片山律弁護士に相談したところ、受動喫煙問題の第一人者たる医師・産業医科大学教授の大和浩医学博士を紹介されたので、TELやメールにて早速相談してみたところ、大和教授のほうから練馬区健康増進課に警告のメールを発信しくれた。


が、しかし、練馬区健康増進課では大和教授からの警告を総務課やその傘下にある庁舎管理係と共有するも、一向に改善されてはいない。つまり、玄関屋外喫煙所はいまだに開放されたままなのです。(喫煙所内の人数制限を呼び掛ける張り紙をツイタテに貼ってある…というが、果たして効果の程はいかほどなのか……)




先日、オンラインにて、沖縄大学学長・日本禁煙学会認定医で沖縄のアドベンチストの病院にて禁煙外来を非常勤で担当する外科医で日本キリスト教団信徒の山代寛さん、そして日本禁煙学会理事/総務委員長の薬剤師でアドベンチスト牧師資格者の宮﨑恭一さんとレナ(アドベンチスト元信徒の日本キリスト教団牧師)で会合を行ない、何とかこの練馬区の玄関喫煙所を閉鎖させるために、練馬区民であるレナが力を尽くしてゆくべきことを確認し合った次第。


 もちろん山代さんと宮﨑さんの頼もしいサポートも期待できよう。


なお、永田浩三武蔵大学教授のゼミ生の制作によるビデオには、レナ(の教団登録名)・横浜タバコ病訴訟原告の方・片山弁護士の順で登場。


またこのビデオは、「嫌煙権確立をめざす法律家の会」代表世話人の伊佐山芳郎弁護士、「日本禁煙推進医師歯科医師連盟」会長の齋藤麗子医学博士、そして「嫌煙権確立をめざす人びとの会」代表世話人で「タバコ問題情報センター」渡辺文学氏にも視聴してもらっており、わけても伊佐山弁護士からの評価が高い映像作品である。


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『じわじわ  タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.10記)


20代半ば時期、例の会社(ヘビースモーカー揃いの)での勤務時代、空気清浄機のそばにデスクがある40代と思しき女性従業員のタバコの煙がワタシを直撃したので、清浄機のスイッチを入れたワタシ。


それを見て彼女がとった言動が常軌を逸していた。


『(清浄機を)オンにすると寒い!』と言って、すかさずスイッチを消す。


そしてワタシに放った言葉が『男のクセに!』



もうただ唖然とした。



もうおわかりだろうか…



タバコ弱者の「X/NB……」の者に対するシス女性による差別/抑圧/いじめの、ごく1例と言いたい。


そんな状況でもワタシはひたすらの我慢を強いられたのである。


そう、「X/NB…等」の人権を慮ってくれないシス女性の皆様方に向かって書かせて頂いた次第。


異論反論があればとうぞご遠慮なく。


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『降っても タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.9記)


非喫煙者のワタシ以外、フロア全員がチェーンスモーカーもしくはそれに近いスモーカーだった職場で働いていた20代半ば時期、『男のクセに(タバコの)煙を嫌がるなんて!』『男のクセに酒もロクに飲めないのか!』となじられたこと数知れず…。


社内や得意先との飲み会の際、『鍛えてやろう!』と言われてタバコの煙を顔面に吹きかけられたり、『これが社会人としての洗礼だ!』と頭から酒を掛けられたり……これはもう完全な物理的暴力だろう。


こうした行状に遭っても、自分の感情を徹底的に抑制出来ていた(否、T.P.O.をふまえて抑制を自分自身に強いていた)あの時の自分は、社会倫理的/道徳的/人道的には果たして正しかったのか、否か…。


キリスト教信仰を持つ前ではあったが、当時既にキリスト教信仰を持っていたとしたら、こうしたシーンにおいてとるべき信仰的態度とは如何なるものであるのか……と考える今日この頃。


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『晴れても  タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.8記)


歳を重ねるにつれ受動喫煙に対する耐性がますます低下していることを感じざるを得ない今日この頃。戸建て/アパート/マンションの一階から漏れ来るケムリこそ1番の難儀・難敵。


その次の難儀難敵が、歩行もしくはチャリこいでるワタシの後ろからおいこしてゆく自動車内の喫煙者。シッカリ流れてくるぞ、ケムリが。


前から来る歩行喫煙者およびチャリこぎ喫煙者など避けるのは容易い。原チャリやバイクの喫煙者はやや難儀するが。


タバコのケムリへの脆弱性はおそらく生まれもっての体質なのだろう。


「ジェンダーとの関係は何処に?」などとヤボなことをたずねなさんな。


トランス/X/NB……の人びとには多くをかたらずともお解りいただけていると思う。



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『暮れても タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.6記)


「趣味嗜好は差別問題とは繫がり得ない!」などというタワ言を何の躊躇いも無く言い得てしまうほどに良心を破壊されているのではないのか?


 とりわけシスヘテロ男は!


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『明けても タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.6記)


「差別する権利/差別する自由」など存在しないことを知りながら、「受動喫煙させる権利/受動喫煙させる自由」も同様に存在しないことが何故理解されないのだろうか?


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『よもすがら タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.6記)


ジェンダーアイデンティティが男女両性であるワタシがどれほどまでに、(その超イレギュラーなジェンダーアイデンティティのゆえに)タバコ問題に悩まされてきたか……


申し訳ないが、(少なくとも)シスジェンダー諸氏には分かってもらえまい。


《もちろん反タバコ活動家諸氏に関しては、それは当てはまらないかも知れないが》


とまれ、20代中期の頃職場で経験したハンパない受動喫煙被害についての詳細を、冷静に客観的に文章化出来るまでには残念ながらいまだ至り得ず…というところだ。


それをしようとするとフラッシュバックが起こり、トラウマがさらに深刻化することになるからだ。


それと社会一般および(至極残念なことに)日本宗教業界においては、いまだに《タバコ問題=人権問題》という認識に至り得ていない状況もワタシの目の前を暗くしている。


わけても日本キリスト業界におけるタバコ問題に関する不見識には腹立たしさすら覚える。


セブンスデー・アドベンチスト教会やキリスト教婦人矯風会による反タバコ活動が、日本キリスト教業界にいまだに浸透し得えていないことは実に嘆かわしい。


今後も原因を探りつづけなければならないだろうが、太平洋戦時下、国家による天皇崇拝強要に抗って日本基督教団への合流を拒絶したセブンスデーアドベンチスト教会が、当時の日本基督教団主流派によって特高警察に売り渡され、全牧師と有力信徒たちが投獄されて獄死者まで出した史実との関係も踏まえるべきであろう。


つまり、日本基督教団によって(戦時下の教団合流要求に与しなかった)セブンスデー・アドベンチスト教会は「反社会的教派」とラベリングされたその歴史的事実も。



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『ひねもす タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.4記)


何百年(もしくは数千年)もの間、喫煙者特権を意識することなく、あるいはTPOもわきまえることなく、なりふり構わず喫煙しまくってきたスモーカーたち。


大多数が男!


「喫煙する自由とは、受動喫煙しない自由を侵害しない限りにおいてのみ成り立つ」という至極当然な認識がようやっと社会に広がり、本来の姿である喫煙規制が拡がりだした途端に「喫煙者の権利を侵害するな!」などと見当違いなことを言い出すスモーカーたち。


殆ど男!


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『さてさて  タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.4記)


「女性専用車両」を指して「男性差別」と断ずる者たちと、拡がりつつある喫煙規制風潮を指して「喫煙者差別」と断じる者たちのメンタリティはほぼ同様に思える。


そう、いずれも「強者特権」に無自覚で傲慢極まり無き“男ども”に多いだろう。


嫌煙権確立をめざす法律家の会・代表世話人の伊佐山芳郎弁護士がかつてことあるごとに言っていたことだが


『タバコの歴史とは非喫煙者の我慢の歴史だ!』


まさにその通りだと思う。



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『さて  タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.3記)


先月21日のタバコ問題関連のオンライン集会が充実した内容だった。


日本キリスト教団信徒かつアドベンチスト系病院で禁煙外来を担当する医師かつ沖縄大学学長、そしてアドベンチスト牧師資格者でもある薬剤師の日本禁煙学会理事、そして元アドベンチスト信徒の日本キリスト教団牧師…という登壇者の面々。


一般参加者にはキリスト教婦人矯風会の役員、日本キリスト教団牧師、浄土宗僧侶、地域労組執行役員…と多彩なメンツが顔をそろえたことも大きかった。


このオンライン集会のエッセンスを練馬区議会議員でなおかつ日本キリスト教団牧師に伝えたところとても興味深く聞いてくれた様子。


彼女はきっとあの大問題の練馬区役所玄関先屋外喫煙所を閉鎖するために動いてくれることであろう。


実は昨日こちらから先方の区議会会派の控室/応接室まで出向き、じっくりと話し合ってきた次第。


玄関先屋外喫煙所とスロープ通路(車イス利用者などが庁舎出入に使う)との距離のあまりの近さたるや、これを非人道的と言わずして何と言おうか。


区議会議員の中には香害問題に取り組む団体に所属する人や、「福祉」を名称に取り入れている団体に属している人もいるのだが、この悲惨な状況に心が痛むことはないのだろうか? それが不思議でならない。


来庁者とりわけスロープ通路を利用する来庁者の健康よりもスモーカーの欲求のほうを優先していないだろうか?


受動喫煙問題もあきらかに人権問題なのである。


ところで、昨日じっくりと話し合った議員だが、流石に信仰を同じうする者同士の理解し合いの速さ・早さも実感した。


ちなみに彼女とは数年前の「練馬市民大忘年会」の余興で、Xmas賛美歌『天には栄え』をアカペラ・デュオった仲間でもある。


そういえば32年前セブンスデーアドベンチスト東京中央教会における禁煙週間イベントにて、作曲家中田喜直さんのピアノ伴奏によって彼の作品『クリーンエアー きれいな空気を』をワタシとデュオった女性医師は、今や日本禁煙推進医師歯科医師連盟の会長にまで上り詰めたが……。


まあ正直言って、


練馬区長および日本キリスト教団議長を務める力量は充分にあるな、彼女は。

    中央奥のツイタテの場所が屋外喫煙所。

    スロープ通路との距離の近さたるや…


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『またして タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.3記)


「中田喜直さん VS 團伊玖磨氏」をめぐる興味深い記事のリンクを以下に貼ります


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_2451.html 


尚、中田喜直随筆集『音楽と人生』では、


多くの頁をタバコ問題関連に割いている。


1994年3月刊行。


時あたかも、ワタシがセブンスデーアドベンチスト信徒のままで、日本キリスト教団認可神学校・農村伝道神学校での学びを開始する直前である。


日本キリスト教団(板橋大山教会)には1996年2月11日を以て正式に転籍を果たしている。


新旧所属教会間相互でキチンと仁義を通し合う形での、正真正銘の円満転籍であった。


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『なおかつ  タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.2記)


ワレワレの中学生時代、品行方正かつ精神年齢極めて大人だったワレワレを悩ませた厄介者教師(職員室や校庭で“パイプのけむり”を燻らす。さすがに教室ではやらなかったものの…)とは、別の因縁もある。


ある時、極めて理不尽な理由で奴に頬を貼り倒された生徒がいた。彼は品行方正かつ学業成績も決して悪くない生徒であり、理不尽な事を決して許さない一途な性格であった。


彼は3年間ワタシと同じクラスになったことは一度もなかったものの、倶楽部活動の仲間であり、さらに共通の趣味ゆえにワタシたちは親しかった。


彼がかの厄介者教師に極めて理不尽な理由で頬を貼り倒されたことは当然彼は納得出来ず、両親に相談。


息子の主張が正しいと判断した彼の両親は、知り合いの議員を通じて区教委や教育長に掛け合い、ついには、教育長と校長・教頭の立ち会いのもと、かの教師に(彼と彼の両親に対して)直接謝罪させる席の設定にまで漕ぎ着けた。


彼の父親がかの教師に対し、『君は自分のしたことが分かっているのか?どうなんだ?』と迫り、『反省しなさい!』と一喝。


かの教師は、彼の父親に殴られるとでも思ったのか、身体をブルブル震わせながら『申し訳ありませんでした!』と深々と頭を下げ、そして泣き出したという。


そしてここからが、奇遇なこと。


後年、国および時の日本国有鉄道(現JR)と日本専売公社(現日本たばこ産業)に対して起こした、いわゆる嫌煙権訴訟における原告団の一人が、ワタシの中学時代の友人の彼の母親であった。


ふとしたキッカケからその事実を知ったのは、1987年嫌煙権確立をめざす人びとの会にワタシが入会した直後のことだった。


同会の代表世話人でたばこ問題情報センター事務局長の渡辺文学氏も、この極めて奇遇なつながりに大層驚いた様子だった。


“パイプのけむり”繫がり…などと言ってしまったら不謹慎だろうか?



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『重ね重ね タバコ問題とジェンダー』


(2022.6.1記)


毎日学校に遊びに行っていた感覚がある中学生時代、誰もが極めて大人だったワレワレ生徒を悩ませた教育労働者2人のうち、一人がスモーカーだった。


それもパイプ喫煙者。彼の喫煙の場は職員室内に限られてはいたが、彼は性格上色々と問題があり過ぎた。


職員室内朝礼における先導役の教頭に対して、『声が小さいぞ!教頭!』と生徒にも聞こえるくらいの声でがなったり、ワレワレ生徒に対しても(余程のことでもない限り手こそ出さぬものの)暴力的言辞を掛けるなどしょっちゅう。


黒板や教室が汚かったりするととたんに不機嫌になったり、かと思うとやたらめったら機嫌の良い時があったり……それでもちょっとしたことで瞬間湯沸かし器と化したり、実に扱いづらい男だった。


『こいつ、メトロン星人からパイプの中に紅い結晶体でも仕込まれたんでは?』とすら思えた。


(『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」を知らない人、ゴメンね!)


ワレワレより少し先輩たちは彼の授業をボイコットして屋上に立て籠もったクラスもあったという。


ワレワレみんなが盛り上がる楽しい雰囲気を一瞬にしてブチ壊す破壊力を常時帯びていた奴だった。


テストの学年平均的が悪いと不機嫌になり、答案用紙が返ってきた際の授業では駄々っ子のような“説教”で一コマの授業時間がツブれ、極端にヒドい時にはワンワン泣き出したり……こちらはドン引きもいいところだ。


何を隠そうワタシは彼から「警戒」された生徒の一人で、ワタシが彼を見る目付きからそう判断されたに違いない。


一応ワタシはテストでは彼が満足する点数は取って(やって)いたし、2期連続で生徒会役員をやった(やらされた)学年唯一の存在だったし、『何を考えてるのかわからない奴』とみなされていたのであろう。


ワタシも彼を嫌っていたが、向こうもワタシを嫌っていることが明々白々だった。


直近の同期会(僅か3クラスしか無かったのでクラス会ではなく合同して開く)では、『あの頃の自分は何と未熟だったことか…許してほしい…』と深々と頭を下げるのだが、こちらはただ、“今さら感”しか覚えない。



岩上太郎・小澤征爾・長嶋茂雄と同年代ゆえ、あまり無理もきかないだろうが、それでも定年退職後は居住地の某市で平和運動に邁進しているらしいので、長く続けられるよう祈ってはいるが……


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『重ねて タバコ問題とジェンダー』



(2022.6.1記)


高校大学時代はタバコの受動喫煙に悩まされた記憶があまり無い。


男子高校だったが職員室内禁煙が敷かれていた様子で、教師の喫煙シーンを目にした記憶もない。


ただ、トイレでの喫煙行為が発覚して退学になった生徒は数名いたようだ。ま、学校から離れた場で喫煙していた者は決して少なくなかろうが。


学部柄かどうか7,8割方は男子が占めていた大学時代も先輩同輩に喫煙者は少なかったし、後輩に至っては記憶が無い。


ただ、就職後がそりゃもう凄まじき煙害の被害を受けまくったのだが、この件の詳細に触れるのは後日に譲ることにする。



そして、神学校。


会員の喫煙タブー&飲酒タブーを明確に謳っている教派は、セブンスデーアドベンチスト・救世軍・末日聖徒(通称モルモン)くらいだが、福音派各教派もやはり禁煙禁酒は当たり前なのだが、いわゆる“リベラル派”あるいは“社会派”にはヘビードリンカーもチェーンスモーカーも少なくなかった当時の日本基督教業界。


ましてや“リベラル派”“社会派”にドップリ浸かっていた我々の(当時の)神学校の学生も教師もスモーカーは決して少なくはなかった。


もちろん、というかその多くは「男」。


本館の休憩室(学生・教師・講師・聴講生・ゲストにかかわらず利用可)の凄まじき吸い殻の山ときたら、そりゃもう大変な状況。


当然ワタシは休憩室のイスに座る気にもなかなかなれず、例え一人であったとしても、吸い殻が山と積まれた灰皿を眼にするだけでもイヤなのに、ましてや臭気がビンビンに漂うとあらば近づくのも憚られる。


厄介なことに、学生各個人用の「郵便受け兼学校配布物入れ」の棚が休憩室の中にあり、これには参った。


現在は本館もリニューアル、建て替えられ、全館オールタイム禁煙が敷かれているのだろうが、1990年代中期はには当たり前の光景なのだろうが、他の神学校でも然りだったかどうかは不明。



で、集中講義の休憩時間中、学生に山のふもとのコンビニまでタバコを買いに行かせた非常勤講師がいたことは驚いた。学生も学生で、いくら原チャリを持ってるからと言ってそこまでやることぁ無いだろうに…。ちなみにその非常勤講師は年配の女性。学生運動花盛りの1960末、教会会堂内で対話した学生たちの影響で喫煙をはじめたら、辞められなくなったとか。ちなみに、彼女の連れ合いも牧師であったが、彼のほうはヘビードリンカー&ヘビースモーカーで70歳を僅かに越えた頃に逝去されたが、このご夫婦は都内N区の社会運動家としても知名度が高かった。



それから日本宗教史だか何だかの授業のフィールドワークで日本の仏教団体2団体の見学研修会を催した際、担当講師が帰路のJR駅までの道すがら歩行喫煙しはじめたので、すかさずたしなめて止めさせようとしたが、それをしたところでまず間違いなくポイ捨てされるのが目に見えていたので、逡巡しつつも歩行喫煙停止の声掛けが出来なかったことは悔やまれて仕方が無い。


ただ、当日の学びをレポートとして提出する課題が出された際には、あの歩行喫煙の件をタップリと書いて差し上げた。


2つの宗教教団施設内で喫煙の機会が奪われ続けていたとはいえ、路上喫煙/歩行喫煙はアウトだろうよ。


ちなみに、不可を覚悟したくだんのレポートであったが、幸いにして可をもらえた。


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『なおなお  タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.31記)


受動喫煙に長期間/長時間にわたって晒され続けると、甚だしい健康被害をもたらされるのみなず、ルックスも劣化する例。


もちろんレナは喫煙経験ナシ。


大学卒業後、フロア全員がチェーンスモーカーだった職場で1年半も受動喫煙の被害に遭い続け、キリスト教受洗半年後、教会青年会の修養会の場で初の講壇からの説教はほぼタバコの話に終始。


ビフォーアフター。


1980年7月  山梨県富士吉田市 19歳3ヶ月

1989年10月  長野県軽井沢町 28歳6ヶ月


2カット共に正真正銘のワタシ。(特に1カット目はなかなか信じてもらえないかも知れぬが)


ま、でも2カット共に、両性的なルックスではあると思う。



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『なお  タバコ問題とジェンダー』



(2022.5.31)


1990年の禁煙週間イベント『子どもたちにタバコの無い未来を!』が、東京・原宿のセブンスデー・アドベンチスト東京中央教会集会室で行われた際のこと。



反タバコ運動の旗振り役として大活躍した作曲家の中田喜直さん(1923~2000)の作品『クリーンエア~きれいな空気を~』をデュオる役を与えられたのが、ワタシと齋藤麗子さん(喫煙と健康 女性会議代表、医学博士、現・禁煙推進医師歯科医師連盟会長)。


そして、な、何とピアノ伴奏は作曲者ご自身が務めて下さった。


さらにフロアからバックコーラスの如くワタシらをサポートしてくれたのが、セブンスデー・アドベンチスト天沼教会青年会メンバーの音大出身者の2人の女性。



終演後、中田さんから『あなたがたの声はとても良い!』と褒められ、結構有頂天になってしまったワタシでありました。


中田さんはあまりお世辞っぽい事は言わない人であることは、それまで一緒に運動や交流をしてきてわかっていたので。


たばこ問題情報センター事務局長で嫌煙権確立をめざす人びとの会代表世話人の渡辺文学氏が撮ってくれたワタシたちの写真はまさに宝物である。


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『も一つ  タバコ問題とジェンダー』



(2022.5.31記)


本日はWHO(世界保健機関)制定の世界禁煙デー。そして本日から一週間は『禁煙週間』。


5月31日が世界禁煙デーとなったのは1989年から。それまでは、世界保健デーである4月7日が世界禁煙デーを兼ねていた。


1980年代の世界保健デー=世界禁煙デーの各地の名物として、禁煙パレードが挙げられよう。


1800年代中期の米国にてエレン・グールド・ホワイト(ホワイト夫人)を創設者として誕生したセブンスデー・アドベンチスト教会。その一組織であるパスファインダー・クラブ(まあ、ボーイスカウト&ガールスカウトに類似した青少年メンバーの組織)らが先導し、横断幕やノボリ旗を持った人びとが割と静かにデモした。たまにはシュプレヒコールもあったようだが、基本はサイレントデモに近かったようだ。


パレードの主催者は、全国禁煙・嫌煙運動連絡協議会。そして同協議会の代表者が、当時の日本禁煙協会の会長・白石尚氏。白石氏はセブンスデー・アドベンチストの牧師であり、当時は東日本教区の教区長を務めていた。


(後年彼はセブンスデー・アドベンチスト教団の理事長も務めた)


1987年10月、第7回喫煙と健康世界会議(東京大会)が開催された際、会期中の交流懇親会のセッションの場で極めて流暢かつわかりやい通訳者を務めたことで、その数ヶ月前に「嫌煙権確立をめざす人びとの会」に入会していたワタシの目にとまり、彼の人柄に惹かれたことがワタシにとってのキリスト教信仰のキッカケとなった。


それから約半年後、東京・荻窪のセブンスデー・アトベンチスト天沼教会の門を初めて叩いたのであった。


「すぐにでも洗礼を受けたい!」と迫るワタシに、西日本の多くの教会で牧会を続け、初めて東日本教区にやってきたベテランの新任牧師・近藤新生氏からは「いきなり洗礼などは出来ない相談。どんなに短くとも1年は毎週礼拝に参加してもらい、尚かつ週一回の聖書研究をしてもらわないと……」とたしなめられた次第。


しかし、近藤氏の言葉に従い、キチンとそれらを履行したワタシは、1989年4月8日、晴れてバプテスマ(全身洗礼)を受けることが出来たのである。


しかも、前年までは世界禁煙デーも兼ねていた4.7世界保健デーの翌日であり、洗礼日翌日はワタシの28歳のバースデーであった。


さらに…ワタシがバプテスマを受けた4月8日はゴータマ・シッダールタの誕生日でもあり、我が家の宗門である浄土宗の大本山増上寺では灌仏会つまり釈迦像に参列者ひとりびとりが柄杓で水(甘茶)を掛ける儀式が毎年行われる日でもあった。



【2022.6.2追記】



近藤新生牧師は天沼教会に赴任した1988年4月以前は、西日本教区の教区長を務めていた。


ワタシのキリスト教信仰のキッカケをつくってくれた日本禁煙協会会長の白石尚牧師は当時東日本教区の教区長だった。


ワタシの受洗には東西両教区の教区長経験者が関わっていたことになる。


後年白石氏は、この後セブンスデー・アドベンチスト教団制作によるラジオ関東の番組『預言の声』のラジオ牧師を経て、教団理事長に就任した。



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『まだまだ タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.30記)


明日は世界禁煙デー。


「職員室内でのタバコにまつわるイジメの事例」


1987年ワタシが嫌煙権確立をめざす人びとの会に入会し、そこで出会った仲間たちの中に、同い年の都立高校教師がいた。


当時の一般的な学校の職員室はまさにタバコ野放し状態。


友人もさんざん職場で声を挙げ、非喫煙者の権利を同僚教師たちに事あるごとに説いていた。


それを疎ましく感じた教師たちが友人に対して行った“仕打ち”の詳細を聞いて驚いた。


それは“嫌がらせ”を超えるイジメそのものだった。


非喫煙者の権利を声高に叫ぶ友人の職員室の机の引き出しの中にタバコを入れ、スモーカー教師全員の名前がそれそれタバコに記されてあったという。当然というべきか、それらは全員男性教師。


そもそも、同僚とはいえ他人の机の引き出しを勝手に開けるのはマナー違反どころでは無いだろう。


とてもじゃないが教育者のやることではない。


この手のヤカラが公教育の場で教鞭を執っている当時の教育業界の行状がこれだった。


今やその手のケシカラン輩はいないと信じておこうか、取り敢えずは。



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『タバコ問題とジェンダー』番外編


(2022.5.30記)


1977年東海道新幹線こだま号に初の禁煙車両を誕生せしめた日本禁煙協会(母体はセブンスデー・アドベンチスト教団)の栄誉を讃え、セブンスデー・アドベンチストの女性創始者たるMrs.ホワイトにあやかり、『タバコ問題とジェンダー』シリーズの文字背景を白にいたしました。


今後も、どうぞお見知りおきを。


PS

昔の『相棒』には「Mrs.グリーン」なる名エピソードがございましたね。



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『まだ タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.29記)


 反タバコ運動家で巣鴨とげぬき地蔵尊・曹洞宗高岩寺の住職かつ内科医でもある来馬明規さんの話を聴くオンラインの機会があった。


 

 来馬さんは、スライドに渡辺真知子の名曲『迷い道』も登場させつつ、実に巧みな話術でタバコ産業の腹黒き実態を紹介。


 とりわけ驚かされたのが、タバコ産業がセクシュアルマイノリティをターゲットにした「Project SCUM」なる策動を進めているとの情報。


 恥ずかしながら初耳だった……。


 チャット機能を用い、禁煙運動で著名なセブンスデー・アドベンチスト教会の元信徒たる日本キリスト教団牧師のセクシュアルマイノリティ当事者であることを明記して、「プロジェクト・スカムについてもっと知りたい」旨書送ると、早速貴重な資料を送って下さった。


 ありがたい。


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『又々 タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.29記)


 前回のエピソードの主役、授業中に喫煙する理科科専任教師S.Nがワタシらの小学校に転任した直後に担任した5年1組(つまりワタシら5年2組の隣のクラス)でのエピソード。


 これは中学に上がってから親友になった本人から聞いた話。仮に甲とする。


 甲は当時同級生の乙をいじめのターゲットにしていた。


 たまりかねた乙は担任のS.Nに相談。


 そしてS.Nのとった対応が破天荒。


 つまり、クラス全員の前に甲と乙を立たせ、被害者の乙に向かって


 『思う存分に甲を殴れ! 治療費は先生が出してやる! 先生が全て責任持つ』


 当然ながら乙は甲を何発も何発も何発も殴った。それこそ血潮が吹き出し、周囲に飛び散るまで。


 乙が満足するまでS.Nは制止することは無かった。


 乙の満足を確認したS.Nは、甲を怒鳴った。『痛みを思い知ったか!?、甲!』


 甲は泣きながら頷く。


 そしてS.Nの促しによって甲は乙に対して深々と頭を下げて謝罪。


 これで一件落着。



 ちなみに、甲も乙もそれまではクラスで中くらいの成績だったが、この件があってからの2人は突如トップクラスの成績に躍り出た。


 二人ともワタシと同じ区立中学に進み、共に常に成績トップ集団にいる良きライバルとなり、後に甲は国立大学に、そして乙は最難関私立大学に現役合格した。


 甲も乙もS.Nには深く感謝している。


 甲の治療費は同然ながら甲の親が負担。甲の親はS.Nを咎めることもせず、それどころか両親揃って乙の家まで謝罪に行ったらしい。



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『又 タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.28記)


文京区立Y小学校時1971年の創立100周年記念式典には皇太子・明仁夫妻が来校し、校庭における低学年式典と体育館における高学年式典に参列した。


4年生のワタシたちはギリギリ高学年組に入ったのみならず、第100回卒業生の栄光に浴することになったのだが、他にも他校ではあまりみられない特別な体験もさせてもらった。


6年時、理科科の専任教師が充てられた。音楽科/図画工作科/家庭科に加えての専任化。そして理科科の教科担任となったのが、5年時に隣のクラス、1組の担任だったS.Nだった。年齢は当時42,3。昭和5年生まれ。有名人に例えると、後年『ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか、ニ・ニ・ニーチェかサルトルか』で名前が売れた野坂昭如のイメージ。


そして彼も授業中に喫煙していた。

ただ、授業に関係ない世間話がやたら面白く、大学受験してみたりいろんな本の感想や内容をかなり面白おかしく話してくれて、ワタシはとても好きだったのだが、授業をあまりしない。


それ自体はワタシ的には大歓迎で、つまらん授業より世間話で時間を潰してもらったほうが遥かに楽しいのだけれど、余計なコトを校長や教頭にチクるヤツはいるもので、(ウチのクラスにはそんな下劣でイヤらしいヤツはいなかったが)結局それが明るみに出て、彼は厳重注意されたようだった。


ただ、彼のファンが女子に多く、実験などで手を荒らさないようにとディスポーザブルのビニール製手袋をプレゼントしたり、お菓子を差し入れたり、ドリンク剤をあげたりする女子に対して、『〇〇さん、だぁーい好きィ!』と感謝の弁。


決して悪いことではないが、『ちょっとキワどいなぁ…』と気づかったものだ。ワタシとしても、(例え彼が喫煙行為を授業中にしたとしても)彼の話しは面白くてタメになったし、また上から苦言を呈されるどころか処分されなければいいなぁ…と内心ドキドキしたものだ。


教育労働者としてかなり異色で異端的な人だったがワタシもそして多くの児童も彼のことを好きであった。


児童とりわけ女子から好かれ、同僚からは距離を置かれ、管理職からは目を付けられる……


そんな行き方も魅力的じゃないだろうか。


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『続々・タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.28記)


墨田区立D小学校に入学してまず驚いたことは、担任の男性教育労働者I.T(30代そこそこ、そう、当時の有名人でいうと岩上太郎/小澤征爾/長嶋茂雄と同世代と思しい)がいきなり自称代名詞に『オレ』を用いていたことだ。


幼稚園時代、大嫌いな歌(代表的なものは『きよしこのよる』)はクチパクして教育労働者を欺いていたほどませた子どもだったワタシは、『おい、教育労働者がその自称代名詞じゃアウトだろう!』とは思いつつも、もちろんクチには出さなかった。


実は、I.Tは授業中にも喫煙していた。現在では大問題になるだろうが、当時はそんなもんだ。


そして彼は児童に対して誰それ構わず呼び捨て。


幼稚園時代の教育労働者からは「くん/さん」、園児同士では互いに「ちゃん付け」で呼び合っていたワタシは面食らった。


そしてI.Tに倣い、児童同士でも「呼び捨て」。おそらく、ワタシがタメドシ同士は相手の性別にかかわらず互いに「呼び捨て」が一番心地よくなった原点がここにあるのだろう、きっと。


当時の児童名簿は「男女別・誕生の早い順」だった。4月上旬生まれで出席番号1番だったワタシは、彼から何かにつけて役をおしつけられ、級長以外にも学芸会の開会挨拶などもやらされたりしていたが、反面、かなりヤンチャな存在でもあった。


何度も平手打ちを食わされ、挙げ句は廊下に立たされたり……こんなことはマンガやドラマの中の世界のみだと思っていたワタシは、今で云う1種の“カルチャーショック”のような感覚に。


今思えば、授業中にすら喫煙する彼によって「男ジェンダー」を植え付けられたとしか思えない。


が、決して彼をキライではなかったし、彼もワタシを嫌ってはいなかった。例えば授業中、彼の発した言葉に対して、絶妙の合の手のようなヤジを飛ばして児童たちの笑いを取るようなことは日常茶飯事。


ただ、2年生時も引き続いて担任だったI.Tが最もワタシを困らせたことは、遠足時のバスレクの定番中の定番「歌合戦」。


そこで彼がやらかしたことは、当時かなりヒットしていたレコードで、ハニーナイツというグループが歌っていた『〇〇・〇〇・〇〇』(〇内はピー音。つまりは男性外性器の俗称)のタイトルの歌を大声で歌い出したこと。


男子児童たちは大ウケしていたが、女子児童たちは困惑していた様子。彼女たち、およびドライバーや添乗員の手前、ワタシは『そりゃマズいよ〜〜!』とヤジったが、それ以上のことは出来なかった。



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『続・タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.27記)


幼い頃、2日毎に1箱ほどのスモーカーだった父の使いで近所のタバコ屋によく走らされていた。銘柄は決まって「新生」。


横道それるが、後年28歳の誕生日前日にキリスト教のバプテスマ(全身洗礼)を受けたが、その時バプテスマを授けてくれた牧師の名前が〇〇新生氏であったことは実に興味深いww


話しをもどす。


ある日、訪ねてきた伯父に「ショートピース」10本入りを2箱買いに行かされた。タバコ屋のおじさんが気を回してくれたのか「ロングピース」20本入り1箱を渡してくれたのだが、おそらくロンピー1箱のほうが安かったと思う。


が、しかし、伯父から『ロンピーとショーピーは味が違う』と云われ、もう一度交換に行かされた。普通幼い甥っ子が買ってきたものを喜ぶと思うのだが、さにあらず。戦艦「長門」の乗組員だった軍人気質の伯父だった。


幸いにして叔父のほうは、ノンスモーカーかつ酒のほうも付合い程度にしか飲まないクチだったのでタバコ屋とは無縁だったのだが、伯父に買い直しを命じられた時のことは実に苦々しい思い出だ。


ところで、1900年に未成年者喫煙禁止法が発布施行された背景には富国強兵政策があり、未成年時代に喫煙習慣がつくと兵役の際の体力増強が望めないゆえだったとか。


「男」と生まれたからにゃ、戦のための体力こそが最重要とされた時代の落し子こそが未成年者喫煙禁止法だったのだ。


“立派”な軍国青年に育ち、終戦後も稼働可能だった唯一の戦艦、強運の「長門」の乗組員だったお陰で生きて里帰り出来た伯父は、かわいい甥っ子のお使いをも無にしてしまうほどに、国家の洗脳から解かれていなかったわけである。終戦後20年を経てさへも。



【追記】

戦艦「長門」は戦後米軍に接収され、1946年、ビキニ環礁における原爆実験クロスロード作戦の標的艦にされた。それでも、1発目のエイブル・ショットには耐え、2発目のベーカー・ショットを受けた4日後に沈んでいったらしい。


そしてその8年後の1954年3月1日、我々の親族(当時22歳)が船長を務めていたマグロ漁船・第五福竜丸が同じくビキニ環礁での水爆実験、キャッスル作戦ブラボー・ショットによる『死の灰』を浴びたのであった。


【さらに追記】

戦艦「長門」がクロスロード作戦ベーカーショットを受けて海底に沈んだのが1946年7月。

マグロ漁船・第五福竜丸は、翌1947年3月カツオ漁船・第七事代丸として誕生、進水。


『第五福竜丸は「長門」の転生』説も成り立ち得るかも……(?)



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『タバコ問題とジェンダー』


(2022.5.27記)


1974年3月までかよっていた小学校の資料室の大掃除をさせられた時だった。


薄汚れた古い引出しから出てきた黄ばんだ藁半紙に、若い女性がタバコを燻らせている絵と共に、『女の人がタバコをすうことの是非についてみんなで話し合いましょう』みたいなコトがかいてあった。


当時は3年生くらいだったが、とても変な感じがしたのを覚えている。


『そんなことを年端のいかない児童に話し合わせてどうするの?』と。


まさか、「女性はタバコを吸うべからず」なとどいう結論を導く目的ではあるまいな。


もしかしたら、女性の喫煙御法度の理由を妊娠/出産と結び付けていたのだろうか?


藁半紙の黄ばみの感じからして1960年頃のものと判断出来たが。


うーん、そういえば1960年代は、女性の喫煙シーンに遭遇することは、ブラウン管やスクリーンや舞台も含めて極めて少なかった気はするが。


ともあれ、女が男と同じように喫煙することは、男と同じように死ぬことしか意味しない。


ジェンダー・イクォーリティ(ジェンダー平等)*とのリンクでタバコ問題を語るべからずや。


【*】「男女平等」は日本政府による確信犯的誤訳!!。

いつ迄この誤訳にしがみついているのか!


この誤訳の“旨味”を享受し続けたいのかっ!


X/NB……等の人権を踏みにじりつつ!


杉下右京がブチ切れた時の如く

『いい加減に目を覚ましなさい!』

と言ってやりたい。


(ま、それに近いことを先日練馬区某所でやってきたが……)



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